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10月31日 朝
今日もリビングのローテーブルに座り、キュウリとハムのサンドイッチを食べていく。
今日は梨を剥くことが出来た。
「ハァ・・・・ハァ・・・・」
口の中に少しだけ入れたサンドイッチをなかなか飲み込むことが出来ず、気持ち悪さだけが続いていく。
「気持ち悪い・・・。」
ずっと気持ち悪い。
気持ち悪くない瞬間が一瞬もない。
怠くない瞬間だって1秒もない。
「仕事・・・行かなきゃ・・・。」
それでも今日も会社に行かなければいけない。
幸い仕事中は気を張り続けているからか少しだけつわりが軽くもなる。
「掃除しなきゃ・・・。」
カリカリを食べる桜の後ろ姿を視界に入れながら、自分の家とは思えないくらい散らかっている家の中を眺める。
「仕事に行って帰ってきて、桜のお世話をするだけで限界・・・。」
全然美味しくない市販のサンドイッチはまだ飲み込めていないまま、数日前に購入した小さなテレビを眺める。
テレビ台もなく床にそのまま置かれているテレビのニュースからは今日のハロウィンのことについて話している。
静かなこの家の中にいるのがあまりにも苦しくて購入をしたテレビ。
この四角の中にいる誰もが楽しそうにハロウィンのことを話していて、そのみんなに対して私は小さく笑った。
「私は去年、ウエディングドレスを着たんだ・・・。」
テレビの中には若くて可愛い女の子がいて、去年の仮装姿の写真をスマホで見せている。
「写真はないけど・・・。
撮るの、忘れちゃったけど・・・結婚式を挙げたんだぁ・・・。」
まだお化粧をしていない顔には今日も涙が流れていく。
何だか凄く凄く苦しくなってきて、のそのそと立ち上がりクローゼットを開けた。
今日も、開けた。
そしてクローゼットの衣装ケースの1番奥から今日もそれを取り出し、ソッ────...と箱を開けた。
そこには・・・
そこには、今日も幸治君から貰った婚約指輪と結婚指輪が輝いている。
最後のあの日、ちゃんと返すつもりでいた。
本当にちゃんと返すつもりでいたのに・・・。
やっぱり指輪を返す為に戻ろうと何度も考えたけれど、その考えはすぐに消えた。
戻ってしまったらきっともうあの扉を開けることなんて出来ないと簡単すぎるくらい簡単に想像が出来てしまって。
“やっぱりここにいたい”と・・・。
“やっぱり幸治君といたい”と・・・。
続けてはいけない“いけないコト”を続けてしまう自分しか想像出来ず、それに付き合ってくれる幸治君の“可哀想”な姿しか想像が出来なかった。
「いつか・・・ちゃんと思い出になるのかな・・・。」
幸治君と一緒に暮らし、“いけない夫婦”として幸治君と過ごした約1年間。
楽しくて幸せだったあの日々のことを私はまだ思い出なんかに出来ていなくて。
目を閉じなくても今でもこんなにハッキリと思い出せてしまえていて。
写真なんてなくてもあの楽しくて幸せだったどの瞬間も私の中にちゃんと残っていて。
でも・・・
「いつか・・・よく思い出せなくなっちゃうのかな・・・。」
輝く婚約指輪と結婚指輪を見下ろしながら吐き出す。
「嫌だな・・・。」
たった数ヶ月しかなかった幸治君との結婚生活。
幸治君以外の男の人と結婚をしたら当たり前のようにその時間は越されてしまう。
何年も何十年も越されてしまい、幸治君との思い出はきっと色褪せてしまう。
「やっぱり、嫌だな・・・。」
今日もそう吐き出してから、幸治君と夫婦でいた証をまた奥底に戻した。
「私が幸治君以外の男の人と結婚して・・・赤ちゃんを産んだって聞いても・・・迎えに来てくれるのかな・・・。」
その時に幸治君の手は取れないけれど・・・。
その時は幸治君の手がオジサンやお爺さんの手になっているだろうけど。
「いつか・・・また会いたいな・・・。」
私はオバサンの年齢を超えてお婆さんになっているだろうけど。
いつかまた会いたいと思ってしまう。
幸治君のことを綺麗サッパリ終わりになんて出来なかったから、私はやっぱりそう思ってしまう。
「まだまだ若いから・・・きっと数年したら私のことなんて思い出になって・・・」
“いつか他の女の子と結ばれるから迎えになんて来ないよ”
最後のその言葉は言葉に出来ず、今日も大きく大きく泣いた。
「私だって・・・っ幸治君と結婚式を挙げたもん・・・・っっ私だって、幸治君との赤ちゃんを産むもん・・・っっ」
幸治君の隣に幸せそうに並び、幸治君と幸せそうに赤ちゃんを抱っこするその女の子に対して吐き出した。
「いいな・・・。」
今日もその本音まで吐き出して・・・
「・・・・・・・・・・っっっ」
慌ててキッチンへと走り、ほとんど食べられなかったサンドイッチを全て吐き出していく。
こんなに苦しみながら吐き出す私の背中を擦ってくれる人は誰もいない。
「・・・・・・いいなぁ・・・・っ」
あんなに良い旦那さんだった幸治君は、本当の奥さんになった女の子にもきっと優しくて。
凄く凄く優しくて、当たり前のようにその女の子の背中を擦る姿まで簡単に想像が出来てしまう。
それでまたこの口から胃液を吐き出した時・・・
私のスマホが着信音を鳴らした。
自分の手で涙も鼻水も口も拭ってからフラフラとスマホを手にした。
スマホの画面に映し出されたその名前を今日も見て、私は小さくだけど笑った。
「おはよう、和希。」
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