闇との遭遇 2

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闇との遭遇 2

「──シュウッ!」  危ういところを猫の声が止める。 「その子じゃない! 上よ!」  はッと男が身じろぎしたそこに、影が幾本もの重たい槍となってふりそそいだ。地面を穿ち、身に響いた震動に、美桜は忘れていた悲鳴をあげた。  顔と頭をかばった腕と背中をかすめたものが熱かったのに、次いではげしい痛みをあげる。 「美桜……!」  声より早く、またも肚に響く銃声が立て続けに轟いた。  傷ひとつなく転がりよけた男が間断なく攻撃をしかけていた。銃弾を向けられた子どもも瞬時にそれをかわし、だが、抱えた片腕ははじめにくらった一発らしかった。  忌々しそうな口調だった。 「百雷の弾丸……。下級戦闘兵ごときがこのボクに傷をつけるなんてね。その身をもってしても購いきれないよ?」  酷薄な微笑とともに、男の足もとから影の剣山がわき立つ。飛び上がってよけた男の目前に、口を開けた闇があった。  空気をふるわせる弾丸の音とともに身体を反転させた男が残滓のように地につき、一度手をふれた。スプリンターが飛び出すかまえのそれだった。とどめたのは、猫の叫び声だった。 「美桜っ! 美桜……!」  切迫した響きがあった。視野にその光景を入れた男は瞬時に息をのむ。  瞬きを数えるほどしか目を離さなかったはずなのに、その姿は立ち上る濃厚な影に食われていた。  近くに子どもの存在があるとはいえ、ありえないほどの大きさとその濃さ。見る間に膨れ上がり、辺りを侵食してゆく。  男でさえも息苦しさを覚え、白い猫などはもはや近付くことすらままならないようだった。  間近の敵と、逡巡は刹那。  男が片手にした銃が溶けるように氷色の光を放って形を変える。つかみ直すが早いか、光が形づくられるのが早いか。  男の元から氷色の斬撃が飛び出し、過たず害意ある影の塊を斬っていた。が、その隙を狙った影の槍が彼の利き腕をつらぬいていく。 「……っ」  喉元をも狙ったそれから飛びすさって、白い猫とはじめに見た女性のもとに足を着いた。 「──そいつは妖魔か?」  白い猫が彼には見慣れた浄化をほどこしていた。しかし、清める端から闇の影がたちのぼる。猫が当たり散らすように怒鳴り返した。 「バカ言ってんじゃないわよ、この戦闘馬鹿っ! どうしてあんたはそう、敵にしか嗅覚がきかないの! 美桜になにかあったら、私たち、一匠に殺されるんだからっ!」 「一匠さんは」 「別んとこで妖獣相手取ってるわよ。だいたい、あんた露払いに先行させられたくせに、なにあんなでっかいの見落としてんのよ!」  男が口を開くよりも、クスクスとおかしそうな笑い声で子どもが割って入った。 「彼を責めちゃダメだよ、猫クン。彼はここ一月、実に優秀な仕事ぶりだったよ。邪気が集まる一定箇所が何度もきれいになってね。ボクの注意を惹くには、十分だった──」  子どもがなにかを仕掛けてくる前に、地を蹴った男が氷の刃を閻鬼に向けていた。が、それはあっさりとかわされ、二撃目も影の盾に阻まれる。  戦闘を繰り広げる気配を後ろに、猫は美桜のそばを右往左往した。 「どうしよう……どうしよう」  うつぶせに倒れた美桜の身体には数カ所切り傷ができており、闇の気配はそこから彼女の内に侵食している。  清めても清めても、彼女の血が流れ続けるかぎり払拭できない。  そもそも、主たちはこの気配と対峙するもの。身の内に侵食することなど──それを許すなど、あり得ないのだ。  でも、彼女は違う。  クッと息をつめ、タマと呼ばれた猫は美桜が浅く呼吸を繰り返しているのを見る。意識はある。が、身の内を食むモノに抗う術もなく体力を奪われ、それに染まるのも時間の問題だ。  泣きそうな思いで彼女の名を呼び、タマは気がついた。  少し離れた場所にあったよく見知った気配が、一気にグン、と近付いた。風がわき立つくらい、大きな羽ばたきの音がその場に響いた。 「……一匠!」  小型飛行機ほどもある鳥の姿が夜陰に一瞬、その身をさらす。次には跡形もなく消え失せ、タマのはたには見慣れた姿があった。 「美桜」  身体を起こされた感触に、美桜はかろうじて目を開けた。 「一匠、おじ……」 「しゃべらなくていい。……すまない。こんなことに巻き込むつもりじゃなかった」  伯父の様子には怪我をしたのか、擦過傷や打ち身の跡が夜目にも見てとれた。なのに、美桜の様子のほうに痛く悔いる眼差しをしていた。そのことに胸をつかれた。  声を発したのは、はたの猫である。 「一匠、どうしよう。このままじゃ……」 「わかっている」  と、激しい衝突の音がして、近くにはじき飛ばされた青年が顔色ひとつ変えず膝をついていた。  子どもの楽しそうな声も出る。 「鷹衛の迅か。そんなに非力な使い魔を飼っているのが、まさかきみだとはね。愛玩動物をほしがるような性分とは思いもよらなかったよ」 「お互いさまだな。──妖鬼将の一人、閻鬼の器が今度は児童の姿か。マニア狙いか?」 「この姿は便利なんだよ。そこのお姉さんのように、簡単にだまされてくれるからね」 「それで私を囮に引きつけたのか。手の込んだことだな」 「本当ならそこの下級兵が引っかかるはずだったんだけどね。で? どうするの? もう手遅れだよ。潔く彼女をボクに渡す? それとも、その前にとどめを刺す──?」  張り詰めた緊張が走る。子どもの口調はどちらでもよさそうにくったくなく軽かった。  一匠はそっと美桜を下ろした。苦しい呼吸とかすむ思考の中でも、美桜は見離されたような絶望を覚えた。 「美桜」  声は強く、美桜を現実世界にとどめる。伯父の視線は子どもから油断なく離れず、美桜をふり返りもしていなかったのに、その強さはなにより彼女を包み込んだ。 「私を信じなさい」  シュウ、とその声は続けて呼ぶ。 「以前に言った言葉、今もらうぞ。──あの言葉にかけて、美桜を守れ」  わき立つ突風が起こった。  地を蹴った一匠が飛び出し、閻鬼と戦闘を繰り広げるのをシュウと呼ばれた青年は見た。  一匠の言葉の意味がはかりかねた。援護しろと、そういうことだろうか。  闇の気配を絶つには、大元である閻鬼を倒せばいい。妖鬼将の一人である相手に彼ら二人、勝算はかなり厳しいが、やるしかない。  ──しかし、とシュウには先の光景が目裏に浮かぶ。  閻鬼が操ったわけでもないのに、増大していた闇の気配。使い魔が清めても払拭しきれなかった闇。たとえ閻鬼を倒せたとしても、あれが絶てるのか。  なにより、あんな闇の陰影の中に捉われて正気を保っているなど、ただ人とは思えなかった。しかして彼らの同族でもあり得ず──シュウの下した判断は対極のモノ、妖魔だった。  それを、彼が絶対の忠誠を捧げる上官は守れ、という。  彼の言葉にかけて。 「……シュウ」  とるべき行動に迷って動けない彼に、使い魔の切迫した声がかかる。 「お願い……美桜を、たすけて」  それ以上の逡巡を切り上げて、シュウはあらためてそのはたに膝をつく。先に断ち切ったはずの闇の塊が立ちのぼりはじめていた。 「──方法は」 「血を」  言ってタマは息をのむ。ふりしぼるように口にした。 「一匠では、できない……。でも、あなたなら。──美桜の血を、受け容れて。あなたの力が美桜にそそぎ込まれれば、浄化できるはず。闇の気はあなたたちにとって有害にしかならないけど──あなたたちは、それと相反するものだから」  迷う暇はなかった。見る間に肥大していく闇の気配に敵意をみなぎらせ、シュウは彼女の傷口に口をつけた。  一瞬、毒をなめたように鋭いしびれが全身に走り、命の危険信号を知らせる。  かまわずに舌先で傷口を探ると、痛みに反応するさまがあった。シュウの舌は彼女の血をなめとっていた。 「……っ!!」  瞬間。  これまでにない衝撃が全身をつらぬいた。マグマの塊を流し込まれたようだった。  胃の腑に落ちるよりも舌と喉を灼いていくその熱さ。存在感。全身の血が逆流してあわだって、沸点に到達して脳が破裂するかのよう。  ──細胞のひとつひとつ。彼が彼でないものにつくり変えられていく。  全身をかけめぐった衝撃が強い塊でもって、彼の心臓を撃った。まるで、楔を打ち込まれた激痛だった。  荒い息遣いに我にかえった。  息をあげていたのは自分で、それはほんの数瞬にも満たない間だったようだが、丸一日走り続けたように息が切れ、鼓動がはげしく脈打っていた。  彼女の上に倒れ込んでいなかったのがふしぎなくらいだった。  かろうじて覆いかぶさるようについていた身を起こし、汗をぬぐう。全身びっしょりだった。 「シュウ……」  気遣う声にようよう、息を整える。なにをすべきかは、すでにして理解していた。  かろうじて開いた眸がおびえたように、次に彼のとる行動を見ている。意にせずにその身体を抱え上げると、まだ闇の気配が残る傷口のひとつひとつに口をつけた。 「や、ぁ……っ」  あまりの行為に美桜は身じろぎする。が、青年の手は力強くてびくともしない。服を割って口をつけられたそこから、熱い息吹が全身をかけめぐった。  彼女の内を蝕んでいた異質な凝りが瞬時にかき消え、熱い奔流に浮かされて、これまでにない目まいがした。  全身を突き抜けていく奔流に意識を奪い取られ、そのまま気を失った。  ぐったりと力がぬけた美桜を抱えてシュウは息をつく。闇の気配がどこにもないのを確認して、はッと彼女を抱えたまま攻撃をかわした。  彼の意志で形づくられる武器が瞬時に手に現れる。それは、いままでにない重圧と力に満ちて、持ち主にその変化を教えた。  閻鬼とも互角に戦える──。  そんな確信が持てるほど、自身の内に生まれ変わった新しい力が芽生えていた。 「……ッハ。まさか、戦闘兵にそんな使い道があるなんてね」  余裕の態度だった閻鬼にもめずらしく緊張の色が見えた。それが彼の確信を錯覚ではないと教えた。  彼の得手である銃器形態に精気がたまっていくのがわかる。それがこれまでの比ではないのは、力ある者の目には瞭然だった。  閻鬼はその一撃を悠長に待つ真似はしなかった。  夜空を覆ってあまりある暗幕が一瞬でたれ込める。あまりの質量にタマが飛び上がって一匠に逃げ込んだほどだった。  闇に姿を隠した閻鬼の声が響いた。 「今回は引くよ。ボクの勉強不足は否めない。でも──その決断がどんな波乱を起こすのか、楽しみに見させてもらうよ」  クスクス、と声を残して気配が消えた。  一匠が風圧を起こして暗幕を一掃する。  夜空を渡る飛行機の音。サイレンに車の排気音と疾走する気配がもどって、ようやくシュウも武器を消した。  音もなく歩み寄った一匠が静かに彼を見下ろす。見上げたシュウの眸にも感情の色はなかったが、そこには絶対の信頼があった。  それを見て取って一匠は問う。 「──王手か?」  返された答えは一言。 「はい」と、どこまでも感情のうかがえない声。  一匠はわずかに目を伏せた。  そうか、とわかっていた風情で、それ以上の繰り事はしなかった。シュウもまた、すべてを捧げた上官に反する言葉は持たなかった。  ──それがたとえ、彼の生死をにぎるものであろうと。  二月の冷たい夜陰が辺りには落ちていた。
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