鳴かぬ毒蛇が身を焦がす

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 ――また、聞こえる。あの声だ。  黒い靄のかかった空間で、呻くような、唸るような、気味の悪い女の声が、僕の身体を押しつぶす。  僕は必死に逃げようとするが、身体はびくともしない。  と、地を這うようなような呻き声が、輪郭を帯び出す。  ――ユ……、  いつもは言葉にならない地鳴りのような声なのに、今日は言葉として聞こえてくる。  指先さえ動かない暗闇。  聴覚だけが声の発信源に向かって研ぎ澄まされていく。  ――ユ、ユルサ、ナ、イ――  ……あ。あれは……。  黒い靄の切れ間から、女の顔が見える。僕の背後にいるはずなのに、なぜかそれがはっきりと分かる。  ――ああ、これは夢なんだ。  だけどそれが分かったところで、どうしようもない。身体が動かないんだから、目覚めこともない。  女は、赤黒くふくれ上がった手を僕の首元めがけて伸ばしてくる。  ――あれに触れたら、僕は死ぬ。  そんな確信めいた予感がした。なぜなら――。  ――オマエガワタシヲ殺シタヨウニ、ワタシモオマエヲ殺ス――! 「――先生」  凜とした声が黒い靄を打ち払い、ハッと我に返る。  と同時に身体が動くようになり、勢い余ってガバッと思い切り顔を上げた。  ――授業中だった。 「待影(まつかげ)くんが具合悪そうなので、保健室に連れて行ってもいいですか?」  ――五時間目だった。 「お? おお。頼む、煤原(すすはら)。――顔色悪いな、待影。無理そうなら早退しろよ」  化学教師の芹沢(せりざわ)が、うす汚れた白衣を翻して僕を振り返る。 「待影くん、立てる?」  隣の席の女子生徒が、すらりとした腕を僕に差し出す。 「――あ。うん……」  僕はふらふらと立ち上がる。窓から注ぐ日差しに目が眩みそうになる。彼女のショートヘアの下の首筋を、おろしたての半袖のセーラー服から伸びる腕が白く照らされている。 「……ゆっくりで良いからね」  どうやら僕は、授業中居眠りして金縛りに遭っていたらしい。別に保健室へ行くほどではないのだが、化学の芹沢は寝てるヤツを指名してねちねち締め上げる傾向にある。せっかくなので彼女の申し出に乗ることにした。 「あ、ありがとう……」  さすがにクラスメイトの注目を浴びる中、彼女の手を取ることはしないが。  僕は親切な彼女の顔を見る。――と。  ――彼女は僕の首の後ろをじっと見つめていた。  真剣、というのとはちょっと違う。なんというか、そう。  まるで、――狙いを定めるかのような。 「――じゃあ、行こうか」  閃光にも似た曇天の白い光を背に受けて、煤原なつひはにっこりと微笑む。  その瞳を見て、ふと、ある言葉が脳裏によみがえる。まさに今この瞬間まで忘れていた言葉だ。 『煤原なつひ? あいつはアレだよ。いわゆる――霊感少女ってやつ』  逆光の中の彼女の瞳は、まるで稲妻のように鈍い光を放っていた。
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