SEASON

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 埼玉県。光栄大学の入学式は、二週間ほど前だった。貴重な青春をすでに二週間無駄にしたことになる。時間の流れが速いのか、自分がのろまなだけなのかいずれにせよ面白くないと感じていた。 その他の学生なら七日間もあればどこかしらのサークルに所属するのがふつうだ。 私はというと、心が決まってないほんの一部の人間に含まれていた。  講義が終わるといつも無意識にグランドのほうに引き寄せられる。  バックネット裏にある少し離れたベンチに座り隠れるように硬式野球部の練習を見学していた。  マウンドから投げるピッチャーの姿を見ると、止まっていた心臓がきゅうに動き出した感じがした。そして同時に一抹の不安を感じるのだ。実戦練習が始まる頃にはわたしは逃げるようにグランドをあとにして帰宅する。 どうしたらいいかわからなかった。  すっぱりやめてしまえば楽になる気もする。  まだまだあがき続けたい気もする。  どちらを選んでも満たされないのだ。だから今日も気がつけばグランドのそばをふらふらしている。混沌の迷路に迷い込んだみたいに暗い道のなかを手さぐりで出口を探している。  カキン。  ナイスバッティング  甲高い声と気持ちの良い木の音が聞こえた。ピタッとあしを止める。 「男子じゃない」  久留実は思わず一歩踏み出す。さっき聞こえたこえは、おそらく女の人の声だ。バックネットに近づくにつれ音はおおくなっていく。 しっかりグランドをのぞいたのは、それが初めてだった。  いつも男ばかりのグラウンドに女の人が二十人と少し、試合形式のバッティング練習をしている。 「ツーアウト二塁一本ホーム投げてこいよ」  そうナインに声をかけてセットポジションからピッチャーは投球モーションにはいる。サイドハンドぎみのフォームから投じたアウトコース低めのボールをバッターは、踏み込んで右方向に打った。セカンドの頭上を越えてセカンドランナーが一気に三塁を回る。クロスプレーになる。そう思われたがランナーは、キャッチャーのタッチをひらりとかわしホームを滑った。久留実は拳をかため目を見開いていた。久しぶりに興奮していたんだと思う。 「今月2本目のタイムリーヒットだ」  やったーと一塁ベース上でぴょんぴょん跳ね始める。 「あんまり調子に乗らないことね」  不機嫌そうな声が答え、帽子を外した。長いきれいな髪が風になびく。 「いいじゃないですかー練習なんですから」 「よくない。相手に対して失礼だ。それにいまのは、少し抜けたのよ。ベストボールじゃないわ」 「打たれたからってそういうのは大人気ないでーす」 「はぁ?」 「なんでもないですよー」  けらけら笑う小柄な子がヘルメットをとり、ふう、と赤くなった頬の汗をぬぐい、丸い瞳が何気なくこっちを見て、 「あーー!」叫んだ。 「わっ! なにあんこいきなり」 「うわああああはははあ」  マウンド上の女の人のこえを無視してすごい勢いでかけてきた。 「きみ一年生だよね!」  ネット越しにすごいテンションで聞いてくる。 「はい」 「もしかして入部希望だったりする?」 「え、あのちょっと見ていただけなので」 「あ、見学ね。そうだよね……まず見学だよね。もっと近くで見てってよ」 「いえ、もう失礼し」 「見てって、ね」 「はい」 強引にせめられては仕方なく頷いてしまった。 「あ、あたし、安城こなつ。経営学部一年。あんこって呼んでね」  半ば引きずるようにして久留実をグランドに連れ込みながら、思い出したようにその人は言った。 「同じ学部だ」ため息を漏らす。  いやな予感しかしない。 「あんこ、だあれその子」  なんとなくグランドに入るとさっきマウンドにいた人がゆっくりと近づいてきた。 「待望の新入部員ですよ。」 「いえ、まだ、見学だけで」 「あんこ、あんた無理やり連れてきたわけじゃないわよね」 「まさか。そんなわけないじゃないですかー。ねー」 「いや、強引に連れ込まれました」  あんこがこっちをじっとにらんだ。言うとおりにしろ、と顔に書いてあった。なんて身勝手な。 「だめよ。無理やり入部させてもすぐ辞めるわ」  と、ロングヘアーのさっき打たれた人。 「りかこさん。わかってますか? 今年一年生わたししか入部しなかったらどうするんですか」 「べつにわたしはかまわないわ」 「危機感持ってください新入部員が一人だけだったらどうしてくれるんですか」 「ひとのせいにするなー」  りかこがゲンコツを振りかぶると、あんこがけらけら笑って逃げた。その光景を目にして久留実はなんだか少し羨ましい気持ちになる。 「あなた名前は?」  小学校の親睦レクみたいな質問。 「咲坂です。咲坂久留実」 「かわいい名前だね」 「ふーんじゃあポジションは?」  りかこは間髪入れずにきいてくる。気がつけば守りについてた人たちが周りに集合していた。 「ピッチャーでした。」  ピッチャーときいてりかこの目つきが変わる。 「あっそ、持ち球は?」 「まっすぐだけです」 「え、なんて聞こえない」 「まっすぐだけです」  今度は、大きな声で答えた。 「はい。素人決定。さあみんな練習に戻りましょう」 「りかこさん、きついですよ。どんだけ余裕ないんですか?」 「お前な……」  口をとがらせてプルプル震えるりかこ。あんこは、度胸があるというか、ただのお調子者なのか。 「真咲さんがいないのに私にどうしろっていうの」 「まぁまぁりかこ、とりあえず投げてもらおうよ。私、ユニフォームの替え持ってるから」 「ちょっとまって翔子。思い出した、咲坂久留美。栄西シニアのピッチャーで数々のタイトルを獲得した天才少女。進学した創世高校では名前は聞かなかったけどまさかね」  久留実にとっては過去の栄光。わずらわしい過去の。 「昔のことです。それに高校では野球部を途中でやめました」  はっきりと言った。 「それで過去の栄光ひきずって大学野球やろうってわけ、なめられたものね……でもいい機会だから投げてもらいましょう。勘違いちゃんに現実をわかってもらうのも大切よね」  りかこは、ベンチにある予備のグラブを手渡した。 「大学野球は奥が深いわよ、天才少女」  
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