40人が本棚に入れています
本棚に追加
性的な政敵
俺はロビイストであって地上げ屋じゃないと怒りのドヤ顔でゴードンが言い放ち、10秒ほどしてエリオットが「それ、スター・トレックだっけ?」と呟いて、まあとにかく彼らは大丈夫、州交通局のお偉いさんとのランチへ出掛けて行った。
あの2人は地元出身では無いので、市外からの集客を前提にした建設候補地を推す。常識的に考えてそちらの方がメリットは大きいからと、ヴェラスコも表向きは一応彼らを支持していた。
「彼らは趣旨を取り違えてる。僕が作りたいのはディズニー・ワールドじゃない。州の子供達が夏休みの思い出として記憶するような、優しい場所なんだ」
たがハリーはとっくにお見通し。ゴルフバッグからドライバーを引き抜き、拗ねたようにぼやく市長を見上げ、ヴェラスコはわざと気楽そうに肩を竦めてみせる。が、本当は気分がとても良かった。本音をぶつけられると言うことは、身内扱いされている証に他ならない。
この強力な精神的支柱でメンタルをガチガチに補強して、会談に挑む。
おためごかしを使う気にもなれない程、ヴェラスコはマレイ議員が苦手だった。元々市長選では、共和党側の最有力候補だと目されていたが、現職市長に懇願され「降りてやった」なんて豪語するような男だ。つまりハリーの就任で議席が逆転し、多数党院内総務としてデカい面を出来ることを見越して、戦略的撤退を図ることも厭わなかった。
「あいつは絶対市長を狙ってますよ」
「どうだろう。来期は副市長にしないとうるさいかも知れないが、彼は地元志向だからそこまで焦っては」
「違います。貴方の尻をです」
離婚歴2回の独身で、無駄に精力的で、あんな目つきのいやらしい50男なんて、絶対バイセクシャルに決まっている。未だ尻尾を掴んではいなかったが、来期までに何か見つけたら、自然公園局の局長辺りに飛ばしてやるとヴェラスコは固く誓っていた。
「僕はあの流し目、セクシーだと思うけど」
そう返すハリーの口調に嘘は無いから、思わずぎょっとなってしまう。彼らが郊外にある学校法人理事長の邸宅に到着して30分。マレイからは少し遅れると連絡されていたが、こんな白々しい嘘を受け入れなければならない程、今は正念場だった。
「とにかく、上手くまとめましょう。あなたが選んだ建設予定地は、彼の地元なんですから」
「分かってる。顔繋ぎをしてくれたフィリップスの面子を潰す訳には行かないからな」
ノーマンズ・ランド(中立地点)と言うに相応しく、邸宅の主人ご自慢の広々とした庭を独り占め出来るうちにと、ハリーはクラブを振りかぶる。一本一本が春の日差しの恵みを受ける天然芝は、なだらかな丘陵へ向かうにつれ、その輝きを目に痛いほど強める。伸びやかな軌道を描き傾斜の向こうに消えたボールを追う、翳した手の下で細められたエメラルドの瞳は、至極満足気だった。
背後から迫る、さくさく草を踏み締める音へ振り返る真似は2人ともしない。まるで約束の時間10分前に到着したような口調で、マレイは「張り切ってるな」などと抜かす。一人で来たらしい、案外度胸がある。
「フィルは?」
「いつもの前立腺」
にじるようにティーを地面に突き刺しながら、ハリーもしれっと返した。
「また魔の信号か?」
「そうそう、この前なんか、30分近く緑がストロボみたいに点滅してたらしい。TikTokで少しバズってたぞ」
若作りしているのではなく単に若々しいのだと、盛大に勘違いしてる中年男の典型みたいな奴だった。灰色になりかけた髪を自然に見えるよう撫で付ければ、ハンサムな面立ちが映えると本人も自覚しているのだろう。若くしてプレハブ住宅の代理店を打ち立て、中低所得者の居住地域の再開発を推し進めながら、同時にこの街で子育てをしたい若い核家族を招き寄せた、地域活性化の立役者。
正直なところ、上手く扱う事が出来れば、かなり役に立つ男なのだと思う。
だがどうしても、駄目なものは駄目。両親がよく、彼の建てた公営住宅を訪れ、英語を話せない住人の手助けをしていたからかも知れない──マレイ・コーポレートで季節労働者として最低賃金で働き、引き換えに自分の建てた家の優先居住権を得た生活保護受給者達。
「私も忙しい。遊園地よりも、もっと有意義な話題を取り上げたかったものだが」
「高齢者向け住宅についてなら、もう少し練って貰わないと。君が20年前に建てた家は、6年前のハリケーン・ローラのせいで殆ど吹き飛んだじゃないか」
「確かに、ここはオズの国からだいぶ遠いからな」
上機嫌へ薄く塗された侮蔑を、本人はあくまで自覚していないふりを貫く。ハリーもいちいち気にしない。落ち着き払ってワンショット。何にせよ、彼のゴルフの腕前は微妙だった。
市長の名誉の為、fore、と叫ぶ真似をヴェラスコはしなかった。どうせ前には誰もいない。問題がやってくるとしたら、後ろからだ。
マレイが担いでいたゴルフバッグから選んだのは6番アイアン。こんな建前上のお遊びで本気になるなんて。
その上昇志向を褒めるべき? 或いは強欲さをか。彼は自分の庭を荒らされることを好まない──何だかんだとフィリップスは完全な共和党員で、己の経営する学校で進化論を教えることを許していないと聞く。
目の前の男も20年前には、若く前途有望な議員として期待されていた。地元志向なんて言い訳だ。自分の力量を、限界を、どこかの時点で悟ったのだ。
利口に弁えて、利権を貪りながら地に足着いた生活を楽しんでいるその姿を見ると、不安になる。まさかハリーがこうなるとは絶対に思えないが。普遍を楽しむには、もっと徹底してマジョリティでなければならない。
熱心なフィットネスで絞った肉体を日焼け剤でブロンズ色に塗り替え、絵に描いたようなWASPを堪能している男は、ショットまで理想的だった。すうっと丘の果てに消えていくボールから外され、ちらと走らされる微笑み、ハリーが気に入っている流し目……が、こちらに来るので、すっと視線を躱して、市長の後ろ姿に集中する。
「あそこの土地には球場をと思っていたんだが」
「それはホームチームが出来てからにしてくれ。まだバスケットボール用の体育館の方が現実的だな」
「あの二軍の? そろそろカルフォンも売却交渉に入るって話だぞ」
「ふうん。それで代わりに野球をと」
今度はハリーが鼻を鳴らす番だった。誰にだって夢がある。相手に馬鹿にされたからと言って、馬鹿にし返して良い訳も無いのだが、今回ばかりはヴェラスコも目を瞑った。
「君の息子さん、リトル・リーグに入ってたな」
「やれやれ、あいつも万年ベンチだよ。マレイ家の資質を受け継がなかった」
シャフトが曲がるのではないかとヒヤヒヤする盛大なダフにも、最早マレイは整った歯列を見せびらかさなかった。シャツの胸ポケットに突っ込んでいたレイバンのサングラスを掛け、さっさとクラブをバッグに投げ落とす。
「さっきの言葉、そのまま返そう。もう少し頭を使え。うちの地元の人間は皆オールドスクールで上品だ。ふざけたカチューシャをしたインスタグラマーがスマートフォンのカメラを振り回して混雑を巻き起こしたり、道端に一口齧っただけのカラフルな綿菓子を捨てまくったりするのは望まない」
「直結駅での集客を考えてる。州が立ち上げた高速鉄道計画の停車駅に立候補するんだ。観光客だけじゃなくて、住民の通勤にも役立つ」
「ベッドタウンと観光都市が両立するか?」
「ラスベガス郊外で一番多い人種はリタイアした老人だぜ。大体、観光都市だなんて大袈裟過ぎる。隣接した自然公園とも上手く組み合わせた、憩いの場にしていくつもりだよ」
マレイが薄く眉間に皺を寄せたのは、反対の意を示しているのではない。恐らく彼にとっては不本意な事に、少し考えているのだ。
「立候補か」
「持って来る。そこまで大幅なルート変更にはならないから、今なら十分修正可能だ」
「なら約定書を見せてくれ。話はそれからにしよう」
再び担ぎ上げようとしたぎちぎちのゴルフバッグば、駆け寄ってきた補佐官が受け取る。何の事はない、彼の側近達は、レモンティーとフィリップス夫人お手製クッキーが用意された、休憩用テラスに控えていた。
「ああ、ところで彼はヴィラロボスの息子だろう」
不意に槍玉へ挙げられ、言葉に詰まったヴェラスコを一瞥する目は、やはりいやらしい。
「ご両親に劣らない、やり手だと聞いている」
ぽんぽんと二の腕を叩く手に含蓄を感じたのは、間違っていなかったらしい。来た時と同じく軽やかな足取りで立ち去るマレイへ見やりながら、ハリーはくいと口角を持ち上げた。
「誰の尻が狙われてるって?」
最初のコメントを投稿しよう!