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「急に呼び出してしまってすみません」
雑多な人々で賑わうカフェの片隅で、私は元永さんに向かって頭を下げた。
「いえいえ大丈夫ですよ」
「私……、アプリを退会しようと思うんです」
私の言葉に、元永さんは驚いた顔をしてから、狭いカフェテーブルの上に視線を落とした。
「そうですか……」
「私、結婚したい訳じゃなかったんです」
「えっ?」
一重の眼差しが、こちらに向けられる。
家を出る理由を結婚に求めてしまっては、また同じことの繰り返しのような気がする。
先ずは、私自身がこの歪んだ現実と向き合ってから。
自分独りで人生の選択ができるようになってから、だ。
「姉の過干渉から逃げ出したくて……。ただ家を出るきっかけが欲しかっただけなんです」
「なるほど」
「何だか元永さんを利用する形になってしまって……。申し訳ありませんでした」
「いえいえ」
元永さんは穏やかな笑顔を向ける。
「運命の話とか、赤い糸と白い糸の類似点とか、もしかしたら私は最初から答えなんか求めていなかったのかもしれません」
チェーン店の名前が書かれたプラカップを手に取ると、中の氷がカラカラと音を立てた。
矛盾しているけれど、私は自分で人生の選択なんてしたくなかったのかもしれない。
今まで大事なことはずっと姉の指示に従ってきたから、選び方がわからないのだ。
無意識のうちに、相手が答えられないような難題をふっかけて、自ら選択肢を潰していただけなのかもしれない。
運命の糸の赤は危険を知らせる色。
私はそれを自分で引くことを避けてきた。
自分で人生の主導権を握ることを怖れてきたのだ。
白い糸の話に怯える少女のように。
「でも、赤い糸と白い糸の話は面白かったですよ。その問いは今でも考えています」
元永さんは白い湯気の立つ紙カップに視線を落としてから、ゆっくりと続けた。
「どちらも本当にあったら怖い、とかはどうですか?」
「赤い糸があったら怖い……」
自分が考えていた答えと近い元永さんの言葉にドキリとする。
「ええ。だって好きな人ができても、その人と赤い糸で繋がっていなかったら絶対結ばれることはないんですよ。どんなに努力したって。それに、もし自分の小指に何も結ばれていないことに気がついてしまったら……。怖くないですか? 一生結婚できない、ってわかってしまうんですよ?」
「確かに」
私は思わずふふっと笑う。
「元永さんって面白いですね」
「花井さんも面白いです」
元永さんはそう言ってから、顎に手を当ててみせた。
「あ、でもこれだと『運命はあるのか』の答えにはなってないですね。運命はあるけれど、赤い糸はないのかもしれないし。もしかしたら虹色の糸かもしれないし。一つだけではなく、沢山の糸が繋がっているのかもしれない……」
「沢山……。それじゃ運命の意味があまりないような……」
元永さんは、ハハッと笑いながら頭を掻いてみせた。
「そうですね。……よろしければ、また次回までの宿題にさせてもらえませんか?」
「えっ? だって……」
「本当は、僕も特に結婚したかった訳ではないんですよ。周りがしろしろとうるさいから、とりあえずアプリに登録しただけなんです」
「そう、だったんですね……」
「世の中、正解がわからないことの方が多いような気がします。大事なのは、それについて一生懸命考えること、なんじゃないのかなって思うんです」
元永さんはそう言うと、両腕を真下に向け、座ったまま気をつけの姿勢を取ってみせる。
「花井さん、これからも僕と一緒に『運命について』考えてくれませんか?」
真っ直ぐ向けられる眼差しに、私も背筋を伸ばす。
「よろしくお願いします!」
頭を下げながら、私は自分の小指に目をやった。
そこには当然、赤い糸なんて見つけられなかったけれど、沢山結ばれているかもしれない虹色の糸を元永さんと一緒に引っ張ってみるのも面白いかもしれない、と思った。
〈完〉
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