赤い糸白い糸

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 ああ、またか。  ドアの向こうから漏れ聞こえてくる声に、私は大きなため息をついた。  カチャリと小さな音を立てて鍵を開ける。  どさくさに紛れてこのまま自分の部屋へ……。  私が階段に足を向けようとした途端、勢いよくリビングの扉が開くと、慌てた様子の母が飛び出してくる。 「ああ、良かった。里香、帰ってきてくれたのね」 「……今日はまた何が原因なの?」    私は仕方なしにそう尋ねる。  リビングからは姉の奇声が聞こえてきた。 「隆史(たかし)さん、今浮気相手とオーストラリアに新婚旅行中なんですって」  母は声を落としてそう言った。 「あー、そういうことか……」   入籍した。素敵なチャペルで結婚式をした。隆史さんの噂が入ってくると、必ず姉は逆上して私達に当たりまくるのだ。  母の肩を掠めてリビングからクッションが飛んでくる。 「里香! あんた最近遅くなる日が多いけど、まさか変な男と会ってるんじゃないでしょうね。私はあなたの為を思って言ってるの。男なんて信用しちゃダメよ! 男なんて、男なんて……きぃぃー」  隆史さんは姉の元旦那だ。  姉は2年前、隆史さん(うんめいのひと)と巡り逢った。 「初めて見た時『あ、この人だ』って思ったの。私が今まで結婚しなかったのも、この人に巡り逢う為だったんだって」  それまで勝手気ままにやってきた姉が突然結婚すると聞いて、びっくりしたけれど、4月に大学を卒業したばかりの8歳も歳が離れた男の子だと知った時はもっと驚いた。  しかも付き合って1か月でのスピード入籍だ。  当然、両親は反対した。  相手が若過ぎるということもあるけれど、熱し易く冷め易い姉の性格から、もう少しお付き合いをしてお互いに理解し合ってからの方が良いのでは、と考えたからだ。  でも姉は「ふたりは運命の赤い糸で結ばれてるのよ」と夢見る乙女のようなことを言って取り合わなかった。  しかし、というよりも案の定、姉の結婚生活は1年も持たずに破綻した。  隆史さんの浮気が原因だ。  しかも相手は姉と同じ部署の2年後輩。  ふたりは姉の結婚式で知り合ったらしい。  あわや流血騒動、というところまで発展し、両家の親族まで巻き込んで、すったもんだの末やっと離婚が成立した。  隆史さんは部署は違うとはいえ、関係者3人が同じ会社。  当然、居づらくなった姉は退職し、その後再就職するでもなく、家事をするでもなく、実家でダラダラしている。  何か言うと逆上するので、母は彼女の言いなりになっている。  そして彼女の相手をするのは、いつも私。  真っ赤な顔をして喚いている姉をなんとかなだめると、ソファーに座らせる。 「……里香、良い? 結婚なんて絶対しちゃダメ。男なんて自分勝手な生き物なんだから」  姉はいつだって私のだ。  仕事も家事もせずダラダラしている出戻りだって、時々ヒスを起こす迷惑者だって、いつも上から目線で私の生き方を決めていく。  姉が何かしでかす度、それらの失敗から得た教訓によって私の人生は塗り固められていく。  それは、彼女にとって理想そのものの生き方なのだろうか……。  今日も遅くなりそうだな……。  大きな声でまくし立てる姉に、私は大きなため息をついた。
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