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桔梗とぐすべり
桔梗の季節がやって来て、花畑で花を摘み、お嬢様の墓参りに行った。
「お嬢様、今年もお嬢様のお好きな
桔梗の花の季節になりました。
お約束した通り、花束をお供えに参りました。」
ふたりで手を合わせ冥福を祈った。
ふと、つうを見ると、また、あの時のように涙を零している。
「つう?」と声をかけると、
慌てて涙を拭き
「何でもございません。
気になさらないで。」というだけ。
ふたりで居る時は変わりなく、
穏やかに、笑っているつうが、
ひとりで居る時、遠くを見るような、
哀しそうな目をしている事に気付いたのは、夏の暑い盛りの頃だったろうか。
「旦那様お願いがあるのですが。」
「ん、なんだい?」
「家に機織り機はございますか?」
「しばらく使ってないが、
おかあが昔使っていたのがしまってある。
機織りができるのか、つう。」
「はい。機織りは、できます。
今度村に出掛けた時、糸を買ってきていただけませんか?」
「自分の着物を織りたいのか?」
「いえ、私の着物は充分ですので、
反物として売れる物を織りたいのです。
大切にしていただいているだけで、
ややこもできず、何も恩返ししておりません。申し訳なくて。」
「私は、つうが女房になってくれただけで、幸せなんだ。一緒に居るだけでいい。
色んなことも出来るようになって、
女房として働いてくれているじゃないか。それで、充分だ。
ただ、機織りがしたいなら、糸は買ってくる。」
「あの、まだ庄屋様からいただいたお金があるのなら、絹糸を買ってきて下さい。」
「村に絹糸など売っている店があるだろうか。
まぁ、なければ、蚕を育てている農家はあるから、そこへ行って直接買ってくれば良いか…。
しかし、絹の反物など、村では買う者は、庄屋様くらいしかおらぬぞ。」
「布が織り上がったら、少し大きな村まで売りに行っていただくかもしれません。」
「まぁ、庄屋様にご相談すればよいか…。
取りあえず、機織り機は出して、使えるようにしておく。」
「ありがとうございます。」
「つう、痩せたのではないか?
どこか、具合が悪いのではないか?」
「大丈夫でございます。
夏の暑さに少し負けただけで、涼しくなれば、秋になれば美味しいものがたくさん実りますから、また元気になります。」
「そうだな。
秋は、木の実もたくさん成る。お嬢様の大好きな柿やアケビや桃が。また、駕籠に詰めて庄屋様のお屋敷にお届けしよう。
そうだ、つうは、ぐすべりという実を食べたことはあるか?」
「ぐすべり?初めて聞く名です。」
「山の涼しい所にしかない木だから、知らぬ者も多い。まだ、成っているかもしれん。
今度山で見つけたら採ってくる。
酸っぱい実なのだが、お嬢様がお好きで、何度かお届けした。」
「ほんとうにお嬢様のことを大切にされていたのですね。」
「お嬢様の事ばかり言うから、
悋気(りんき)したか?
今はもちろん女房のつうが一番大切じゃ。
だが、お嬢様は、私にとって特別な方なのだ。お嬢様がいらっしゃったから、ひとりで生きてこられた。
そうでなければ、もう私などとうの昔に、餓えていたか、凍えて死んでいた。分かってくれるか?」
「もちろんでございます。
悋気などいたしておりません。
少し羨ましくはありますが。
でも、こうして与ひょうさまの、旦那様の側に居られるだけで、私は、幸せですから。」
「つう、おいで。」
与ひょうは、手を広げてつうを招いた。
つうは恥じらいながら、与ひょうの胸によりそった。
与ひょうはつうを抱きしめて、
「こんなに愛しい女房を持てた私は、幸せ者だ。共に白髪になるまで共に過ごそう。」
つうはそれに答えず、ただ涙を零した。
「何故泣く?」
「嬉しくて…」
もうお側に居られるのは、
僅かでございます。それが、哀しくて…でも、その事は、旦那様には申し上げられない。そう思うと、涙がまた溢れてきた。
「泣くな。涙を拭いて、
つうは笑ってる方が良い。嬉しいときは、泣かずに笑っておくれ。」
「はい、申し訳ございません。」
与ひょうは、つうの涙を優しく拭ってやり、口吻をした。
その日の夜
いつもは恥じらうばかりのつうが、
「抱いてくださいませ。」と
与ひょうを求めた。
与ひょうは、壊れ物を扱うように、
優しく愛した。愛するほどにつうは妖艶さを増し、なおも与ひょうを求めるのだった。まるで、最後の逢瀬のように…
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