山に帰りたい

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山に帰りたい

実りの秋が過ぎ、山里に雪がちらつくようになった頃、お嬢様は乳母と共にお屋敷に帰っていかれた。 お屋敷に帰ることが決まったと、 乳母が山にある与ひょうの家に言いに来た。 「これは、いままでよくお嬢様をお守りしてくれた御礼です。」と、 まとまった金を包んできた。 「それと、もう山にも木の実はないかもしれないが、ある物で良いから最後に届けて欲しいとお嬢様がおっしゃってます。 この、二、三日のうちにお願いします。」 と言って帰っていった。 もう、雪がちらついている山に木の実はないので、せめて干し柿だけでもと考え、 竹駕籠に入れて、お嬢様の居る農家に届けた。 その時、干し柿だけ渡して帰ろうとすると「与ひょう」と呼ぶ声がした。 声のする方を見ると、 お嬢様が手招きをする。 「何か御用でございますか?」と問うと、 「後で、誰も居ない所で読んで。」と 手紙を渡された。 「どうぞ、お達者でお過ごし下さい。」と頭を下げてその場を去った。 与ひょうは、家に戻らず、 そのまま誰も来ない竹藪に入っていった。 そして、懐から手紙を出すと広げて読んだ。 与ひょうへ 山里にいる間、いつも側に居てくれて、 私の願いをたくさん聞いてくれてお世話になりました。ありがとう。 与ひょうといると、とても安心で、 与ひょうが竹駕籠を編む姿が好きでした。 ただの竹の細い棒が、与ひょうの手にかかると、魔法のように色々な形になってゆくのが、見ていて飽きませんでした。 取ったばかりの魚を河原で焼いてくれたのは、とても美味しかった。 家に帰ったら、もう、あのすっぱい “ぐすべり”も食べられないわね。 与ひょうに会いたくなったら、 これから月を見ることにしようと思います。 だからもし、私に会いたいと思ってくれたなら、与ひょうも月を見上げて下さい。 そうしたら、同じ月を見てることになるでしょう? これから、雪が降って寒くなります。 お元気で。今まで、ありがとう。              鶴 お嬢様… お側に居られて幸せだったのは私です。 お慕いするなど、身の程知らずと分かっていながら、 お嬢様をお慕い申し上げておりました。 月の出る夜は、必ず月を見る事でしょう。 どうか、お幸せに。 私のことなどお忘れ下さい。 私は、この身が朽ちるまで お嬢様のお幸せだけを祈らせていただきます。 屋敷に戻ったお鶴は、その日から祝言に向けて花嫁修業に励む日々となった。 婿となる、隣村の庄屋の次男との顔合わせも済み、雪が溶け春になったら 祝言を挙げる手はずであった。 ところが、年が明けてすぐ とんでもない話が伝わってきた。 婿になる庄屋の次男には、通っている女がいて、 既にふたりの子どもまでいるというのだ。 驚いたお鶴の両親は、手の者を使って事の真偽を調べさせた。 その次男は、用心深く行動していて、 なかなかしっぽを摑ませなかったが、 ようやく、女がいる事を確認できた。 その報告を受けたお鶴の父は自らも出向いて、 女の存在と子どもがいること、 庄屋の次男の子どもであることを確かめた。 そして、隣村の庄屋へ行き談判した。 「お宅の次男を我が家の婿として迎える準備をしておりましたら、 とんでもない話が聞こえてきまして。 次男さんには、通っている女がいて、 子どもまでいるという。 ご両親は、まさか、ご存じなのに、 うちとの縁組をしようとしていたんですか?」 「若気の至りとご理解下さい。 春までには手を切るようにきつく言いおきますので。」 「ふたりも子どもがいて、手を切るなど、 その女と子どもはどうなさるおつもりで?見捨てるのですか?」 「それは…生活が立つようにして、 そちらにはご迷惑をかけるようなことはいたしませんので。」 「ふたりが幼い頃に決めた許婚です。自覚がなく間違いが起こることもあるかもしれません。 ですが、私の見たところ、ご子息は手を切るおつもりは無さそうに見えます。 失礼ながら、私が自ら確かめに足を運びました。 ご子息は、いまだに女の元に足繁く通っております。 この縁談は無かったことにいたしましょう。よろしいですね。 そちら様に結納として納めた物は、 お返しいただきたい。 お互い、村を治める庄屋という責任を負う家同士です。 庄屋として、恥ずかしくない振る舞いをお願いいたします。 では、失礼いたす。」 両親は、お鶴の耳にこの話が入らないよう気を配ってきたが、破談となった以上、 話さない訳にはいかなくなった。 「お鶴、そなたには申し訳ない事になった。実は、…」 「父上様、何も仰らないで。 存じております。 お父上様が私の為、この家を継ぐために考えて決めて下さった縁談・許婚ですから、従うつもりでおりました。 もう、何年も前から聞こえてきておりました。山里の者は、村に色々な物を作って売りに歩くではありませんか。 あちらの村こちらの村と。 ですから、山里の民は、色々な村の人、 別の山里の民と繋がりがあるのです。 色々な話が聞こえてきます。 私が、隣村の庄屋の次男の許婚と知らない人もいるのです。 庄屋の息子が祝言も上げず、女の元に通えば、誰かが見ているのです。 いくらおじさんと呼べと言い含めても、 子どもは正直ですから、家の中でお父ちゃんと呼んでいれば、外へ出てもそう呼ぶでしょう。 そういうことです。」 「お前はそこまで知っていながら、 家のために堪えるつもりだったのだね。 申し訳ない。辛かったであろう。」 「お父上様、どうか縁の繋がる所から養子をお迎え下さい。そして、その方に嫁を取って下さい。 私は、もう長く生きられない気がいたします。」 「そんな事を言わずに、今度はちゃんとした真面目な婿を探してくる。 幼い頃は身体が弱かったが、丈夫になったではないか。」 「山に帰りたいのです。 ここでは、息ができません。 生きられません。 山の人は、嘘をついたり人を騙したりしないのです。そんなことをしたら、死んでしまうからです。 みな、正直に助け合って生きているのです。 お願いします。お父上様。 私を山に帰して下さい。」 そういうと、お鶴は気を失って倒れた。
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