もう月は見えません

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もう月は見えません

与ひょうがやっとの思いで庄屋の屋敷に辿り着いた時、 既にお鶴は旅立った後だった。 「庄屋様、お嬢様は…」 「お前が、与ひょうか… もっと早く呼べば良かった。 すまぬ。」 「…お亡くなりに、なったのですか? 間に合わなかったのですね。 申し訳ございません。」 与ひょうは、その場に泣き崩れた。 「あの娘にとても良く尽くしてくれたそうだな。少しだが、足代の代わりだ。 呼び立てて済まなかった。」 「このようなものをいただきに来たわけではありません。 結構でございます。 桔梗の花の咲く頃になったら、 お墓に参らせていただきます。 お嬢様がとてもお好きだったので。 失礼いたします。」 よろよろとよろけるように立ち上がり、 与ひょうは、山里に帰っていった。 今日は、太陽まで隠れているのか。 もう、月が出ていても、 あなたはいないのですね。 もう、お側にも行けないのに、 月を見てもあなたはいないのに、 私は、どうやって生きていけば良いのでしょう。 私も、いっそ川に身を投げればいいのですか? でも、父が待っています。 父も身体が弱っているのです。 帰らなければなりません。 「おとう、ただいま。 遅くなってゴメン。 今、粥を温めるから待っててくれ。 粥が温まったが、ひとりで起きられるか。 しんどかったら、起こしてやるから、 無理すんな。 おとう、明日もう一度村に行って薬買ってくる。 乳母やさんにもらった金が仕舞ってあるだろ。」 「あれは、お前が嫁御をもらう時のために取ってあるんだから、使ってはならん。」 「もう、嫁御はもらわんから、いい。 おとうの病気が治った方が良い。 だから、薬買ってくる。」 翌日、また村へ行き、 おとうの為に薬を買った。 庄屋様の屋敷の前まで行くと、 お嬢様の葬式が始まっているらしく、 中から読経の声がした。 中に入るわけにはいかない。 お嬢様に恥じをかかせることになる。 少し離れた場所から、手を合わせた。 もう、ここに来ることも二度とない。 あんなにお丈夫になったのに。 幸せになっていただきたかったのに。 あなたが幸せならば、 私は月を見るだけでよかったのに。 もう、月を見ても、 あなたの笑顔に見えません。 月を見ても哀しくなるだけだから、 もう私は月は見ません。 「おとう、ただいま。 薬買ってきたから、 これから煎じるから、少し待ってな。」 「与ひょう。 お嬢様は、亡くなわれたのか? 今日また村へ行ったのは、 葬式を確かめに行ったんだろ?」 「うん。だまってて、ゴメン。 少し離れた場所から、手を合わせてきた。中には入れんから。」 「心のお優しい、綺麗なお嬢様だったのに、気の毒に。 庄屋様もお力を落としておられるだろうのう。」 そう言っていたおとうも、 薬の甲斐無く、翌月の末には死んでしまった。 簡素な葬式をして、墓に埋葬して、 ひとりになった。 独りぼっちになった部屋で考えた。 どうして、おらの大事な人は皆死んでしまうんだろう。 おらが、なにか悪いことしたんだろうか? おかあもおとうもお嬢様も死んでしまった。 おら、ひとりぼっちで、 何の為に生きるんだ。 生きてる意味あるか? 乳母やさんからもらったお金の残りで、 飲めないくせに、酒を買った。 もう、何もかも、どうでもよくなった。 下戸だから、少し呑んで直ぐ酔っ払う。 目が覚めて、また少し呑んでゴロッと寝転がる。 何もしないで何日かか過ぎた。 近所に住む者が、 家族が病気で、薬はないかと聞いてきた。 「薬はおとうに全部飲ませたから無い。 けど、金なら少しある。 酔っ払って面倒だから、 買いに行ってはやれんが、金貸したる。」 と言って渡した。 「すまんな。 春になったら、山菜売って返すから、 それまで待ってくれるか。」 「ああ、ええよ。」 もう、どうでも良かった。 春まで生きてるか分からんし。
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