桔梗

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桔梗

もうすっかり冬となり、与ひょうの家の辺りは一面雪で白く覆われていた。 冬支度をする時期に、生きる気力を失って怠けていたので、急いで出来るだけの事をしなければならなかった。 雪の止み間に、竹を切り出し、 薪の代わりになりそうな小枝を集めた。 猟はできないので、罠を仕掛けて、 せめて野ウサギでも狩らなければならない。 出来ることは何でもして、何とか餓えることなく、冬を越し春が来た。 山菜や筍採りに精を出し、茹でて、 干して保存食を作った。 また別の日は、猟に出て野ウサギや イノシシ、鹿等を狩った。 家の周りの畑も、草だらけに放置していたのを耕して芋や野菜を植えた。 そうやって、毎日毎日懸命に働いて 自分の食べ物を確保し、また村に行って売り歩いた。 そして、得た金で米を買って山へ戻っていった。 家族が病気で金を借りてた男が来て 「与ひょう、すまんがもう少し待ってもらえんじゃろうか? 一生懸命働いてるが、女房がまだ無理できんから、 家の者に食べさせるので手一杯なんだ。」 「女房の具合が悪かったのか。 お前が飯の支度もしてるのか?」 「ああ。だもんで、なかなか金を返すところまで手が回らんのだ。」 「金は、返さんでもええ。 あれは、お嬢様の乳母やさんにもらったもんだし。 飯の支度までするんじゃ大変だろ。 うちで取れた芋と米を少しだが持っていけ。」 「金も返せんのに、すまんのう。 与ひょう、ありがとう。」 「困った時はお互い様だ。 女房が早く元気になるとええな。」 こうして、困っている者には、自分の為に保存している食べ物を惜しみなく分け与え、 元の優しい働き者の与ひょうになった。 春が過ぎ、暑い夏になっても、 与ひょうは、忙しく働いていた。 川で魚を捕って、干物にしたり、糠に漬けて保存食とした。 雨の日は、竹細工造りに精を出した。 村に竹細工を売りに行った帰り道、 桔梗の花が咲いているのを見かけた。 お嬢様のお好きな桔梗だ。 たくさん咲いているところを見つけたら、桔梗を持ってお嬢様の墓参りに行こうと思った。 その晩は、よく晴れて月の美しい夜だった。 お嬢様、 今日の月は、お嬢様の様に美しゅうございます。見ていらっしゃいますよね。 あれから、お嬢様が泣いている夢を見なくなりました。 お嬢様のお好きな桔梗の花が咲く季節になりましたね。 今度、たくさん摘んでお持ちいたしますね。 明日も、一生懸命働きます。 だから、ご安心下さい。 その夜は、お嬢様が楽しそうに桔梗の花を摘む夢を見た。 翌日 朝の畑仕事を終えて川に行く途中に、 桔梗の花畑があった。 魚を捕りに行くのは止めて、 与ひょうは、花を摘んで庄屋様の屋敷に向かった。 裏の勝手口から入り、家人に乳母やさんはいるか尋ねた。 「山に住んでおります、与ひょうと申します。お嬢様のお墓に参りたいのでお許しをいただきに参りました。」 「そこで少し待っておれ。」 「与ひょう、良く訪ねてくれました。 旦那様のお許しをいただいてきましたから、共に参りましょう。」 乳母やもお嬢様を亡くした心労なのか、 お歳を召されたようだ、と 与ひょうは、思った。 乳母やの歩みに合わせて、 ゆっくりと歩いた。 「与ひょう、お嬢様が亡くなわれた後、 そなたは父も亡くしたと聞きました。 それで、働き者のお前が何もせず酒を吞んでは寝てばかりいると。 与ひょうは、人が変わってしまった様だと聞いて心配しておりました。 でも、どうやら元の与ひょうに戻ったようで、安堵しました。」 「乳母やさん、私は、もう生きている甲斐もないと投げやりになっていたのです。 何もする気が起きず、餓えて凍えて死んでも構わないと。 何度も何度もお嬢様が泣いている夢を見ました。なぜお泣きになっているのか尋ねても答えて下さいません。 やっと、与ひょうがいなくて哀しくて泣いてると仰って下さいました。 私の知っている与ひょうは、働き者で 優しい人だと。 困っている者がいるのに、知らん顔しているような、そんな人間は、 私の知っている与ひょうではないと。 お嬢様は、私を叱って下さったのです。 それで、やっと気が付いて、 私がお嬢様を泣かせていたのだと、 申し訳なく思いました。 それから、心を入れ替えて働き始めました。もう少し遅ければ、冬が越せず、私は餓えて凍えて死んでいたでしょう。 それからは、お嬢様が泣いている夢は見なくなりました。 夢に出てくるお嬢様は、いつも笑って下さるように成りました。 今日は、川に魚を捕りに行くつもりでしたが、途中で桔梗の花畑があったので、お嬢様のお好きな桔梗の花をお供えしようと、墓に参らせていただくことにしました。」 「お嬢様のお好きな花を覚えていてくれたんだね。ありがとう、与ひょう。 ここです。ここにお嬢様は眠っておいでです。」 与ひょうは、桔梗の花束を供え、 乳母やは線香を手向けた。 ふたりで手を合わせ、お嬢様の冥福を祈った。 与ひょうは、庄屋様の屋敷まで乳母やを送っていくつもりだったが、 「もう、ここで大丈夫。ひとりで帰れます。それと、これは旦那様からの気持ちです。」と金を包んだ袱紗を手渡された。 「このようなものは、いただけません。」 「旦那様は、お前が周りの者が困っていると、自分の食べ物まで分け与えて助けているのをご存知です。 お嬢様に良く尽くしてくれたことも。 ですから、これは、親として庄屋としてお前に感謝の気持ちで渡すのです。 嫁御をもらうのに使ってもいいし、 周りの者が困っている時に使ってもよいのです。だから、遠慮せず受け取るのです。」 「分かりました。 それでは、ありがたく頂戴いたします。では、お気を付けてお帰りください。 秋になりましたら、また、お嬢様がお好きだった木の実をお届けに参ります。」 「与ひょうも達者で。」 村の入り口で乳母やと別れ、与ひょうは、村でいただいた金子(きんす)で米と薬を買い山に戻っていった。 途中、何軒かの家に寄り、米や薬を渡して家に戻った。 今日は、魚を捕れなかったが、いただいた金子で米が買えた。 買ってきた米で粥を炊いた。 庄屋様、ありがとうございます、と感謝しながら、粥を食べた。 もう少ししたら、梅の季節だ。 暑い夏に備えて、梅干しを漬けなければならないな、などと考えた。 今日いただいた金子で甕をいくつか買いたそう。そうすれば、たくさん作って保存ができる。 残りの金子は、もしもの時のために大切に仕舞っておこう。 窓から空を見上げると、今日も綺麗に月が出ている。 お嬢様、桔梗の花束お気に召しましたか? お嬢様がにっこりと微笑んでいる様に見えた。
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