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お鶴
お鶴の家は、代々村の庄屋を務める
豪農で、大地主だった。
戦国時代には、有力武将に仕える
武士だったといい、
門を構える立派な屋敷に住んでいた。
お鶴には兄がふたり居たが、
ふたりとも流行病で早世して、
一人娘だった。
お鶴も身体が弱く、気管支が弱いのか
すぐ風邪を引き、熱を出して
両親を心配させた。
跡継ぎのことを考え、幼いうちに、
隣村の庄屋の次男を許婚として
婿に迎えることに決めていた。
ある日、乳母が
「お嬢様がお丈夫になるように、
山里にお預けになったらいかがでしょうか。
大事にされるあまり、家の中に閉じこもっていては、
返ってお身体に良くないと存じます。
山里の子どもたちは、畑仕事をしたり野山で駆け回るのでみな丈夫です。
行儀作法などは、お丈夫になられてからでよろしいのではないでしょうか。
私が、お側について参りますので。」
そんな乳母の提案で、丈夫に成るのならと、
山里の農家にお鶴を預ける事になった。
お鶴は、実は、じっとしているより、
身体を動かすことが好きであった。
近所の農家の子どもたちと一緒に
山に野いちごなどを取りに行ったり、
川で魚を取るのを手伝ったり、
そんなことをしているうちに、
だんだん風邪を引くことも減り、
丈夫になってきた。
時には、木に登って乳母に叱られたりもした。
山に、父親と竹細工などを作ったり、
野ウサギやイノシシなどの猟をして
暮らしてる与ひょうという男の子がいた。
与ひょうは、口数は少ないが、
屈強で聡い子であった。
乳母は与ひょうに
「お嬢様は、お丈夫になったのは良いが、
この頃はお転婆が過ぎて、私の手には負えません。
お前が側に居て、お怪我をしないように、
見守っておくれ。」と頼んだ。
与ひょうの父親には、仕事を手伝えない分、駄賃を渡すからと約束した。
それから、お鶴の行く先には、
いつも与ひょうが側についていた。
「あ、あそこに何か実がなってる。
与ひょう、あれは食べられるの?」
「あれは、ぐすべりといって、
涼しいところに生える木の実で、
赤くなってるのは、食べられます。
でも、酸っぱいですよ。
それに、枝に刺があるので、
お嬢様は手を出さない方がいいです。
食べてみますか。」
「ええ。ひとつ取ってくれる?」
与ひょうは、トゲに気をつけながら、
大きめの良く色づいた実をひとつ取り、
両端についた軸としっぽのような物を小刀で器用に切り取ってお鶴に渡した。
「すっぱい。でも、美味しいわ。」
「お気に召しましたか?」
「ええ。私は、甘いのも好きだけど
すっぱい実も好きなの。」
「では、もう少し色づいたら、
駕籠に取ってお持ちします。」
「ありがとう。
でも、トゲに気をつけてね。
あれは、刺さったらとっても痛そうよ。」
「そうですね。刺さると、かなり痛いです。
ですから、たくさんは取れないと思いますが。」
「刺さって痛めたことがあるの?」
「もっと幼くて、トゲがあるのを知らなかった頃です。」
「与ひょうは、山や川のことは何でも知ってるのね。
今度、竹駕籠の編み方を教えて。」
「その様なことは、お嬢様のなさることではありません。
私が、叱られます。」
「そうなの?
自分で使う物を造ってみたかったのに。
与ひょうが編んでるのを見たら、
面白そうなんだもの。」
「手が竹でささくれたりしますし、
楽しみで編んでいるわけではありません。
私が知っているのは、山で生きていくのに必要なことだけです。
読み書きもできませんし。」
「じゃあ、私が読み書きを教えるから、
与ひょうは…、」
「茶杓をお造りになってみますか?
あれなら、小刀の使い方だけ気をつければ、手を痛めることもありませんし、
お茶の道具として御自分でお使いになれます。
ですが、お嬢様から、読み書きを教えていただいては、私が叱られます。」
「なぜ?」
「私共は、庄屋様と違い、
読み書きなど分不相応だからです。」
「でも、読み書きができたら、
嬉しい事があったときは、そのことを書いて忘れないようにできるし、
私が家に帰っても、与ひょうに手紙を書けるわ。」
「紙はとても貴重な物です。
私に手紙など勿体ないです。」
「とにかく、
読み書きは地面でも教えられるから、
誰も居ない山でやれば良いのよ。ね。
決まり。
天気の良い日は、山で読み書きを教える。
雨の日は家の中で茶杓の作り方を教えて貰う。そうしましょ。」
「はい、承知しました。」
どうせ、もう少ししたら、お元気になったお嬢様は、お屋敷に帰るのだ。
そうしたら、お婿様を迎えるために
行儀作法を学んだり、
お茶やお花の稽古など、
女としての嗜みを学ばなければならない。
今、山里にいる間だけでも、
お好きなことをさせて差し上げよう。
与ひょうは、そう思った。
お嬢様は、柿やあけび、野イチゴなど
木の実がお好きだ。
山へ行って、色んな木の実を取って差し上げよう。
与ひょうは、お鶴の無邪気な笑顔が
大好きだった。お嬢様の喜ぶことなら、
何でもしてあげたかった。
お屋敷に帰られたら、もう、お目にかかることもない。
せめて、その笑顔を目に焼き付けておきたかった。
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