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------こんばんは。須田優香です。チケット買いました。でも、当日になっていきなり怖気づいて会場に辿り着けない可能性もあります(笑) ------じゃあせめて会場の最寄り駅まできてください。そこから先は俺が引っ張っていきます!  吊り革に掴まり身体を前後に揺らしながら昨日までのアキラさんとのメッセージのやり取りを見直す。待ち合わせの時間もこの地下鉄に乗って行くのがベストだし、落ち合う約束の出口も確認した。それにも関わらず何度も同じ文面を視界にいれてしまうこの高揚感。それを感じて紛らわせないと慣れないことをしている不安に飲まれそうになるんだ。 普段は全く利用することのない路線に乗り換えて、見慣れない構造の駅を過ぎる。そうして一度も降りたことのない駅に辿り着き、開いた扉からホームに一歩踏み出すと心拍がより活発になった。私の内にあるものの振動で身体が小さく揺れて、何も流していないヘッドホンからその音が聞こえる。改札を出て各出口への行き先を差す看板を視界に入れる。2番出口、右に曲がって、2番出口。 「須田さん? 」 不意に掛けられた声に肩が思いっきり跳ねた。勢いよく振り返った私の顔はきっと相当引き攣っていたことだろう。その様子を見て大きく吹き出したアキラさんは普段と、いつも美容室で見掛けるときと何も変わらない出で立ちだった。 「きっと同じ地下鉄に乗ってたんですね。須田さん、本気出しました? 本当にお洒落。かっこいい」 いつもは私の好みのテイストを滲ませる程度に留めて絶対に浮かないように周囲と調和するような服装を心掛けているのだけれど、今日挑むあの場所はきっとその森も色が濃い。それでも滲ませている部分をほんのり色付くくらいにしただけなのにここまでの反応をされたことに衝撃と恐れ多さを感じ、ヘッドホンを外しながら流れるように目を逸らしてしまった。 「すみません、緊張してて。失礼なことしたりとか、奇行に走ったりしたらごめんなさい」 「奇行って、全然想像できませんね」 場所が変わっても美容室で接客しているときと変わらない様子でアキラさんはニコニコを微笑み「じゃあ、行きましょうか」と先程目指そうとしていた2番出口を指差して歩き出す。それに一歩後ろから続くとアキラさんはなんてことない会話を続けながら速度を落として自然と隣に並ぼうとしてくれて、そんなわかりやすい気遣いや優しさに一々申し訳なさを感じているとあと数時間で迎えるライブへの緊張感もじわじわとそこに混じってきて得も言われぬ感情になった。 「あ、会場で俺の友達と合流するんだけど、良い奴なんで! きっと俺よりも安心できる存在だと思う」 いつも一緒に行く友達がいるという話は事前に聞いていたからわかってはいた。けれど。やはり素性の知れない初対面の人と接するのはどんなに周りの人が良い人だと言っていても身構えてしまう。その不安を知ってか知らずか、一番好きなスピカの曲は? 今日一番聞きたい曲は? とアキラさんは一等星スピカに関する質問を私に投げ掛け続けた。 「ここを真っ直ぐ行くとすぐ会場で……、お、いた。やっぱりあいつ目立つなー」 アキラさんが大きく手を振るその目線の先には、一際オーラを放つ美しい人が腕を組んだ状態で気怠げに壁に寄りかかっていて、私たちに気が付くと軽く片手を上げた。 「お疲れー。ルイ、この人が須田優香さん。そしてこの麗しい奴が俺の専門学校時代からの友達の、ルイ」 シルバーアッシュの緩く巻かれたロングヘア。黒いロングスカートにサテン生地で袖の広がった白いシャツ。色気のある出で立ちのその人は、王子様と言われれば王子様だし、どこかのご令嬢のような雰囲気も持ち合わせていた。 「初めまして、須田優香です」 佇まいの完璧さもさることながら整った顔立ちにピッタリの綺麗なお化粧まで施されていて、目を逸らすことができないまま挨拶をすると「こんにちは」とルイさんは上品に笑った。 「よし、じゃあ並ぶか! 番号順に並ぶんだけど、俺は須田さんに合わせて後から入るわ」 「何言ってんの。アキラは出来るだけ前で見たい派でしょう? 私、ちょうど今日はお洋服もお化粧も上出来であんまり崩したくない気分だったから優香と一緒に後ろで見る日にするわ。だからアキラは安心して前に突っ込みなさい」 「え、でも」 「ほら、この会話を聞いた後に一緒にいられても、本当はアキラは前で見たかったんだろうなって優香が気にしちゃうでしょう? あんたはもう前で見る道しか残されてないの」 そう言ってアキラさんの背中を番号の早い人たちが待機しているゾーンに向けて押すルイさん。最初は少し煮え切らないような表情をしていたアキラさんだったけれど「いいからいいから」と背中を押され続けたことでやっと観念して「じゃあ、終演後は絶対落ち合おうね! 」と残し、番号の早い人が括られている場所へ向かって行った。 そのやり取りからは気心知れた空気がダダ漏れでその間柄を羨ましく思うと同時に、私は隣に残ったルイさんの妖艶さに数々の疑問を感じ得ないでいる。 「…どっちだと思う? 」 「え? 」 「最初は誰もが気になることだからいつも先に明かしてるの。私は身も心も男性。ただ女性への憧れが強いだけ」 開場が始まり、隣り合ってジワジワと入り口に近付きながら、ルイさんはなんてことないようにそう話し出した。 「スピカのベースのケイト、いるでしょ? あんな感じだって言えばわかりやすいかな」 一等星スピカのベースを担当するケイトは女形と言われる、女性の身なりをした方。とても透明感のあるフランス人形のような見た目でゴリゴリのスラップを披露したりするギャップから男女問わず人気のある方だけれど、SNSで見せる私生活や言動からは男性らしさも滲み出ているミステリアスな存在。 「私もお化粧やヘアアレンジ、そしてしなやかな所作で美しい自分を演出するのが好きなの。あ、チケットの他に入場時はドリンク代600円かかるからね。両方持ってる? 」 その点に関しては事前リサーチ済だ。はい、と言って右手のチケット、左手の600円を見せるとルイさんはよし、と母のような優しさと父のような力強さで笑った。
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