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「優香ちゃん、5卓のランチセット、そろそろ次のやつの準備して欲しいかも! 」 この店の看板娘であり誰もに愛される絵に描いたようギャルの梨乃ちゃんがデシャップから顔を覗かせて私に声を掛けた。 「うん、もうできてるよ。これが5卓の次の料理ね。で、これなんだけど先に3卓に出してもらっていい? 先に9卓のが入ってたけど3卓まだ何も出てないから。9卓のも急いで出すね」 「優香ちゃんまじで有能すぎ。助かる~」 そう言ってトレンチに料理を乗せきってホールへと戻っていく梨乃ちゃんをデシャップから目で追いかけた。笑顔を絶やさず配膳を行いテーブルの様子を確認して回っている姿に尊敬と恐怖が同時に込み上げてくる。 このデシャップの向こうの世界は私にとっては地獄だった。 「安田さん、優香ちゃんホールにくださいよ~」 下げた食器を片付けにキッチンの中まで入ってきた梨乃ちゃんが奥でフライパンを振っている料理長の安田さんにそう言っている声が聞こえて身体が強張った。 「ダメだ。むしろこっちが引き抜いたんだから」 「え、優香ちゃん、ホールだったの? 」 「うん、最初はね」 「当時キッチンが壊滅的に人手不足だったからこっちに異動してもらったんだよ」 梨乃ちゃんに「やっぱ優香ちゃんて有能だ~」と曇りなき眼で見つめられて、安田さんのフォローと偽りの情報で私の株が上がってしまったことに対してゾワゾワとしたものが込み上げ、浸食し、落ち込んでいくのを感じる。 ホールは多数の見知らぬ人たちと関わる分、思い通りにならない怒りを素直にぶつけるお客様もいたし、表面上はなんてことない顔をしていても残念だったいうことが伝わってしまう場面もあった。私はそれらの感情をぶつけられるのが苦手なので、そのような体験をする度に手を抜くことなく真摯に向き合い持っているすべてで対応するのだけれどそれでも無自覚の悪意は変わらずに向かってくるので、地獄に耐えられなくなった私はこの仕事に心のすべてが引っ張られ、生きることにも支障が出始めたので、辞めることを選択した。 それをすんなりと受け入れたオーナーに対して、キッチンへの異動を提案してくれたのが料理長の安田さんだ。オーナーと私の会話に「新しい仕事に慣れる期間も大変だろ? 」とコーヒーを差し出して笑いながら乱入してきた安田さんの下で働いて、もう五年は経つ。 「てか、今日の夜、梨乃の友達がお店に来るんですよ! なんかサービスください! 」 てか、という接続詞一つで簡単に話題をぶった切ってしまえるのはギャルの誇るべきアビリティー。それに感謝しつつ二人の会話に耳を傾けながら私は目の前に並ぶ伝票を最良の速度で消化すべく思考を巡らす。 「おお、何がいい? 」 「肉! 」 「随分ざっくりしてんな。わかった、任せろ」 「まじで安田さん好き! あとお腹減りましたー」 「ご要望が多いな、お姫様は」 「梨乃ちゃん今日通しだもんね。私がなんか軽くつまめるもの作っとくよ」 「優香ちゃんまじ女神! ほんと好き!」 そう言って温かいものを散々振り撒いて再びホールに戻っていた梨乃ちゃんはすでにホールスタッフとの会話を始め、再びその場を照らしていた。 好きよりも苦手なものの方が多く目に付きこびりついてしまう私にとってはあらゆるものに素直に好きと言ってしまえる梨乃ちゃんが羨ましい。 「いいな、ギャル」 「お前もなってみれば? 」 「ギャルにはなりませんよ。でも、今日髪型を変えます」 ライブの後に発した「髪型を変えたい」を心が怯んでしまわないうちに実現させようとアキラさんが動いてくれた結果、今日の夜に実践することになった。営業終了後の美容室を使うことができるように手配してくれたそうで、そこまでしなくてもという返信には住吉さんがそうしろと言ったという旨の回答が返ってきた。きっと、私の理想に近づけるために時間も周囲も気にしなくていいように立ち回ってくれたのだろう。 「……優しい人って、沢山いますよね」 「俺含めてな」 「私はその、私に向けてくれる優しさにも申し訳ないというマイナスの感情を抱いてしまって」 「相変わらず面倒臭いもの持ってんな。でもお前のその面倒臭い感覚が俺の役に立ちまくってるってのも覚えておけよ」 そう言って安田さんは手を洗った際についた水分を私の顔面に飛ばす。うわあ、と上擦った声を出した私に歯を見せるように笑うと、自分の持ち場へ戻ってガスコンロに火を点けた。
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