共 鳴

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 彼の名前は才川ルイというらしく、本名で仕事をしていることを知った。  代表作は『噛み憑き女』というホラー映画。ぶっちゃけ、聞いたことはない。だけどキャストを調べるとちゃんと有名な俳優さんが出演している。この時、才川君は二十四歳。現在は二十七歳だ。まだ若い。俺と比べるからそう思うのかもしれないけど、まだまだ若い。きっとまた大口の仕事だって来るだろう。問題は、俺の方だ。案の定、あの日の面接も落ちている。さぁ、いよいよまじでヤバイぞ。ついにバイトで食い繋ぐしかないのだろうか? それは参ったな。三十五歳のアルファがバイトしてるとか良い笑い者だぞ。 「あぁ……落ち込む」  やっぱり、一生ベータのふりをして生きていく方が賢かったんだ。くそぉ、くそっ!  どうしていいか分からないまま、パソコン画面に映っている才川君のウィキペディアを眺め、ふと公式サイトがあることを知った。  覗きに行くと、仕事の依頼を受け付けている案内があり、ほかにもツイッターのアカウントなども公開されていた。  追いかける。  ツイッターにはシナリオの仕事をしているほかに、書籍を一冊出版していることが書かれていた。 「小説も書くのか」  正確にはエッセイだったが、書籍化されたその出版社のホームページに飛ぶと、求人案内が出ていた。 「……おぉ、これは俺に来いって言ってんのか?」  よもや前向きに捉えないとやってられないくらい、俺は窮地に立たされているということだ。  だがまさかのそこで、採用が決まった。製造業をしていた自分がまさか出版社に勤めることになるとは、夢にも思っていなかった。  会社は俺がもともとベータであることを承知したうえで採用を決めてくれた。正直なところ、こんな俺が「本好き」なわけはなく、読むのも書くのもてんで苦手だ。もちろん日本語だってほとんど不自由だ。ここに居るとえらくそれを痛感する。生活している分には何の支障もないのだが、社内で仕事をしていると自分の語録のなさに幻滅するだけじゃなく、日本語が読めない、書けない、理解できない、辞書を引く、の連発である。  向いていない。正直、はっきり、向いていない。  だけど、そんな俺をポンコツ呼ばわりすることなく、みんな「すぐ慣れますよ」と励ましてくれる。社内の雰囲気は有難いことにいい方だと思う。  研修期間の三か月を経て、半年が過ぎたころ、会社にふと甘い匂いが漂った。  オメガの香りだとすぐに気付いた。  普段生活をしていると、この匂いはすぐには気付かない。意識しないと気付かないレベルのかすかな香りだ。なのに突然、意識もしていなかったのにふわりとその匂いが俺の鼻先をかすめていった。  きょろっと部屋を見渡す。  まさか、この小さな出版社内にオメガがいたのだろうかと思ったからだ。オメガは通常、ヒートを抑える抑制剤を常備している。発情期は三か月に一度のペースでやってくると言われているが、今のところ誰かがオメガ休暇を使っているところは見たことがなかった。だがヒートの周期も個人差があるから、もしかして……と思って社長に確認しに行こうと席を立ったその時。 「こんにちは」  そう言って編集部の扉が開けられ、そこから顔をのぞかせたのは、才川君だった。
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