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結婚式を挙げた。真っ白な式場で、彼と誓いのキスを交わす。そして彼のおなかには、すでに小さな生命が宿っていた。
妊娠している彼を気遣い、新婚旅行は国内にしようと提案したが、彼は海外に行きたいと駄々をこねた。飛行機なんてやめようって何度も説得したけど、いやだと才川君もゆずらなかった。
愛する番のわがままだ。仕方がないから海外旅行にしようか、ってことで話はまとまって、俺たちは彼の安定期を待ってから旅行へ出向いた。
二人で飛行機に乗って、他愛ない話をしながら、おなかにいる子供を撫でる。幸せな夫婦、誰からもそう見えていただろう。俺たちだって、そうだと思っていたんだ。
目的地に到着してから、あちこちへ行った。一週間のハネムーン休暇を俺たちは存分に楽しんだ。
いや、楽しむはずだったんだ。
だけど、この地に足を下ろしてから、四日目。
才川君は腹痛を訴えた。それは異常な腹痛だった。叫びながらのたうち回る才川君に現地の人が救急車を呼んでくれて、緊急オペとなった。
だが才川君は、そのまま……帰らぬ人となった。
お腹の中の子供は生きたまま取り上げられたが、あまりに小さな生命で、二週間後に息を引き取った。
運命は残酷だ。望まなかった幸せを与えられ、そして奪われた。何のために俺はアルファになったのだろう。何のために才川君はオメガになったのだ。
答えも分からぬまま、俺は今、研究室のベッドの上で無気力に寝そべっている。
殺してくれと願った。死にたいと泣いた。
俺は……いや、俺と才川君はあの地で……突如、ベータへと戻ってしまったのだ。
あの日の地震で狂った磁場。俺たちは、被災地の隣国へ旅行に来ていた。俺たちの人生を狂わした磁場は、また俺たちの運命をそれで滅茶苦茶にする。
何の恨みがある。俺たちが何をした? 狂わされた人生を、それでも必死に「幸せ」にしようと、二人手を繋いでここまで歩いてきたのに。
残されたのは……ベータに戻った俺一人と、才川君の作品だけ。
「やっぱり海外旅行なんて……行かなきゃ良かったろ?」
ベッドに横たえ天井を眺める俺は、もう声の届かない才川君に語り掛けた。
「俺の言うこと聞いときゃよかったんだよ。……そうだろ?」
そしたら俺たちはずっと幸せなままだった。キミは死なずに済んで、子供だって無事に生まれて来てくれたんだ。キミの才能だって……摘まれずに済んだのに……。
だけど、海外旅行を承諾した時に見せた笑顔は……今思い出しても俺の宝物だと言える。やったーなんて飛び跳ねるものだから、慌てて押さえつけたんだ。おなかの赤ん坊に障るから、……と。
「ルイ……」
涙はこめかみを伝い、耳にたまった。
ベッドから見える研究室の天井は無機質に俺を見つめ、明るい蛍光灯は無情に俺を照らし続けた。
ベータに戻った俺に価値はない。才川君のいない世界に生きる意味も見出せない。
孕んだ状態でベータに戻ってしまった才川君は、あのあと研究の重要な参考資料になるとして世界中の研究者たちがその体を買いつけた。俺と、才川君の両親にとんでもない額の金が振り込まれたが、俺も、ご両親もそんなものいらなかった。ただ、ただ……返してほしかった。
その体にそれ以上のメスを入れないでくれと何度縋りついただろう。だけど、『彼は世界を救うかもしれないのだ』と、そのたびに説明された。でもそんなの俺には関係ない。世界のために愛する人の体が役に立つなら、なんて言うとでも思ってるのか? 生憎俺は生まれたときから不真面目に育ってるんだ。俺はベータ育ちで、「お利口」なんて反吐が出るほど嫌いだったんだよ。
世界の役になんて立たなくていい。才川君はただ俺だけの才川君でいてさえくれれば良かったのに。なぁ……そうだろ? お前もそう思うだろ……、ルイ……。
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