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才川君の使っていたパソコンの前。
いつも彼が座っていたダイニングテーブル。
俺は彼の書きかけのシナリオと小説を、一人の部屋で読んだ。
アルファ時代に培った知識は消えることなく俺の中にある。読めない漢字も、理解できない日本語も、今のところ出てきていない。
得意だったホラー。だけど、未発表の作品は、俺が思っているよりずっとずっとたくさんあった。こんなに書いていたんだと驚かされる。
その中には、俺との日常が物語になっているようなものまであり、ページの一番後ろには、ネタを書き記している箇条書きがずらりと並んでいた。
全部、身に覚えのあることばかりだ。
駅前で配られるポケットティッシュを集めるのが好きとか、マイクロファイバータオルは二回洗濯したらアウトとか、さんまの骨を全部取り除ける能力がアルファにあればとボヤいていたそんな小さなことまで、書かれていた。
そして「エッチしたいとタケさんに言ってもらえた」と書かれたメモを見つけ、……涙が出た。「タケさんは面白い」って、「タケさんは優しい」って。「タケさんとずっと一緒にいたい」と……。
俺たちは、きっと同じ日に性別を書き換えられ、出会うべくして出会った運命の番だった。だけど同時に、俺たちはあの地震がなければ絶対に巡り合えない運命だったんだ。
だから俺たちは……まがい物の番。神様に認められたアルファとオメガじゃなかったんだ。
全部……全部、泡になって消えていく……。
『ねぇ、お兄さん。どう? 寄ってかない?』
ふと真後ろで声が聞こえた気がした。
そこに見えた才川君は無邪気に笑って、『またまた~。いい給料もらってんでしょ?』って俺を指差した。
「いや……、もう仕事は辞めたんだ……」
そう言うと、才川君は困ったように笑って、何かを言いながら窓の外へと消えていった。その言葉は俺には聞こえなかったけど、きっといつかに言われた言葉だったのだろう。
眼前に広がるのは夜の街。才川君を追いかけるように窓を開け……俺は……俺は──。
* * * * *
ベストセラーとなった 甲斐 尊 著の「出来損ないのアルファと用無しオメガ」は、国内だけに留まらず国外でも翻訳出版され、世界で大きな話題を呼んだ。
二人の悲劇を、世界中の人々が嘆き悲しみ、そして哀れんだ。
色とりどりの花が手向けられている石碑には二人の名前と共に、名もない”baby”の文字が刻まれ、色褪せることなく語り継がれていくことを、今も尚、ずっとずっと見守っている──。
【完】
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