「ギルドで待ってる」創作のきっかけ

2/2
前へ
/2ページ
次へ
その日、私は仕事の一環で、全国の色々な学校で発行されている学内誌をネットで調べ上げる作業をしていました。 その中で、とある学校の図書館で発行された冊子のPDFデータが目に留まりました。 その図書館では、毎年学内の生徒からエッセイを募集しているそうで、私が見つけたのは、偶然にもちょうどその最優秀賞が決定した月の号の冊子でした。 (へえ、それほど大きな学校でもないのに、そんなコンテストを開催しているのか) 私は気になって、最優秀賞の作品を読んでみたくなりました。 そしてこの時、 (最優秀賞を取った作品とは、どれほどのレベルの文章なのかな。まあ、どうせ一学校内でのコンテストなんだから、大したものではないだろうけど。) などど、かなり上から目線であったことを正直に告白しておきます。 そのエッセイは、次のような内容でした。 エッセイの作者は、18歳の男子学生。 その子は、本を読むのはあまり好きではないそうなのだが、一時、頻繁に図書館で本を借り、家で読んでいた時期があったそうだ。 そうなったきっかけは、ある日、家でゲームの攻略本を読んでいたときのこと。その子のお祖父さんが、本を読む孫の姿を見て、「本を読んどるんか!凄いやないか!」と言った。本といっても、これはただの攻略本だから読書じゃないよ、とその子が言うと、お祖父さんはこう答えた。 「本の種類は何でもええ。ただ文字を読むことが大事なんや」 お祖父さんに褒められたことがとても嬉しかったその子は、その日以来、図書館で本を借りては家で読むようになった。そして、それをきっかけにお祖父さんと会話する機会も増えた。 それまでは家でゲームばかりしていて、そういう時はお祖父さんも邪魔をしたくないと思うのか、話しかけてくることもなかった。だが本を読んでいると、「本を読んどるんか。偉いなあ。何を読んどるんや?」と、お祖父さんは気軽に話しかけてくれる。 その子は、もともとお祖父さんが大好きだった。決して自分を叱らず、両親に𠮟られているときも、よく自分をかばってくれる。そして、本を読むなどの些細なことでも褒めてくれるのだから。 しかしながら、どうしても本を読んで物語を頭で思い描くことが苦手で、結局いつの間にか本を読む習慣もなくなってしまった。 そして迎えた、コロナ禍の暑い夏の日。 お祖父さんは救急車で運ばれ、そのまま帰らぬ人となった。 家の机の上には、お祖父さんが読んでいた農業に関する本が置かれている。 それを手に取ると、今にも涙が流れそうになる。と、同時に、お祖父さんのあの声が聞こえてきそうになる。 「本を読んどるんか。偉いなあ。何を読んどるんや?」 ……いかがでした? 実にいい話だと思いませんか? これを読んだとき、私は本当に感動して、数分間仕事が手に付かなかったですよ。 そしてこの作品が私の中で、エブリスタで開催されていた妄想コンテスト「また会えたね」とリンクしました。 『本がもたらす、亡き人との邂逅』 これをテーマに、作品を書いてみようじゃないか。 私は過去に一回だけ作品を書いていたのですが、それからもう二年近くが経っていました。 そんな私がもう一度創作をしてみようと思い立ったのは、会ったこともないその男子学生の文に心を動かされたからに他なりません。 それにしても、あらためてエッセイのあらすじを読んでください、この短い文章の間に(実際の作品の方も1200字程度です)、「本」と「読書」の魅力が詰まっていると思いませんか? ゲームの攻略本だって、立派な読書の入り口 褒められたいから、読書のきっかけは別にそれで構わない 合わなければ、離れたらいい。「読書」とは本来そういう自由な行為だ 愛した人がいなくなっても、その人の愛した本なら残る。思い出と共に。 そして、「本の種類は何でもええ。ただ文字を読むことが大事なんや」、この言葉は全ての読書家にとって嬉しいですよね。 純文学だろうが、ライトノベルだろうが、専門書だろうが、攻略本だろうが、雑誌だろうが、同人誌だろうが、それを読む人はみんな文学を愛している、そして、それを書いた人は、みんな何かを伝えたいというパッションを持っている、そこは変わりがないはずです。 できれば、あのエッセイを書いた学生をお礼を言いたいですね。 「素晴らしいお話をありがとう」って。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加