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普段交わされる会話から推測して返事を待ったのに、歩は顎に手を当てて気難しそうに考え込む。
「歩、こんなくだらないことに頭を使わないで、仕事中に使えよ。きっと病院が快適になること、間違いなし!」
さっき歩がやっていたように、利き手の人差し指を立てて得意げに告げた途端に、「もう!」という短い怒号が大きな声で発せられる。
「びっくりした、なんだ?」
「くだらないことじゃねぇし。タケシ先生、全然わかってない」
珍しく声を荒らげた歩のセリフがきっかけとなり、診察室に険悪な雰囲気が漂った。
「わかってないって、なんのことだ?」
嫌なそれを払拭したかった俺は、すぐさま歩に訊ねる。
「病気に関しての見立ては完璧なクセに、恋愛についは本当にダメだよな」
「なにがそんなに――」
おまえを苛立たせているんだと言いかけて、思い当たるフシにぶち当たる。前回、歩とケンカしたのは、県内の小児医学会の研究発表会のとき。チームリーダーだった俺は日々めちゃくちゃ忙しく、歩にかまう暇がまったくなかったときだった。
(仕事中はもちろんのこと、プライベートでもすれ違いが発生し、くだらないことで言い争いになったっけ)
そのときと今を比べると、そこまで忙しくないものの、いつもより歩を蔑ろにしているのは事実。しかも前回の失敗をふまえて、今後は気をつけようと思っていたのに、そのこと自体をすっかり忘れてしまった。
(コイツはコイツなりに、忙しい俺にかまってもらうべく頭を使って、必死にコミュニケーションをとっていたってわけか)
「歩、あのさ……」
たどたどしく言葉を発しつつ、歩の後方に視線を飛ばす。扉がしっかり閉ざされているを確認したのちに、ふたたび視線を目の前に移した。
「おまえの薬のこと、なんだけど」
「うん……」
「薬が必要なのは、俺のほうだと思うっ」
両手の拳を膝の上でぎゅっと握りしめ、まくしたてるように告げた俺を、歩はアホ面丸出しで眺める。
「タケシ先生?」
まじまじと見つめられるだけで、恥ずかしさが一気に増した。
「俺に薬、を、くれな、ぃか?」
言い終える頃には顔全部が熱くなり、それを見られたくなかった俺は、思いきり首を垂れるしかなかった。
「タケシ先生いいのかよ、薬には副作用があるんだろ?」
「かまわない。その副作用は恋人のことを、もっと好きになるってもの、だから……」
普段言わないことを、猛烈に照れながら口にする自分。見るからに情けない姿を、医者として冷静でいるもうひとりの自分が、ここぞとばかりに指を差して笑ってる気がした。
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