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幕間
柔らかな影が私に言った。
「君、もっと小さくなってくれればいいのに」
たおやかな手が震えを伴って私の頬を包む。当惑と懇願のはざまに揺れる眼がまっすぐに私を見抜いた。
「君が小さくなってくれれば、私が抱えていられるくらい、もっともっと小さくなってくれれば。そうしたらどこへだって抱えて歩くのに」
小さくなれと請いながら、私の顔を押し込むように優しく撫でる。
そんな風に押し込んだところで、私はこれ以上小さくなれない。
言い返そうかと思ったが辞めた、なんだか口を開く事がひどく億劫だったのだ。
相手は諦めたのか頬から手を離すと、猫の子のように私の胸元に額を擦り付け、大きくため息をついた。
ゆったりと呼吸を繰り返せば、私に乗る女のやわらかな体も一緒に上下する。
うつらうつらと夢心地。
私は今までにないほど、疲れ切っていたのだ。
目を閉じてしまえば、何もかもを置き去りにして眠りに落ちる事ができるだろう。
夢の中なら、何も考えなくて済む。
きっとそうだ。
こんな思考放棄をしている場合ではないのだとわかっている。
やるせない現実からすぐ目を逸らすその癖が、今までの人生を生きづらくしてきたというのに。
それでも私は疲れ果てていたのだ。
今だけは、柔らかな人間一人分の重みを抱えて眠りたかった。
いや、でも、それは。
ハタハタと眠気にあらがうまぶたが音を立てる。
あらがう私に気付いたのか、女が起き上がった。
冷たい手が、私のまぶたを覆い隠す。
私の熱を吸い取ろうとするような執拗さと、女の熱をしみ込ませようとする切実さをもってピタリと張り付く白い指。
とたんに、どろりと自分の正体が融け消えるような心地になった。
もうおまえは目覚めなくていいのだと、そう言い聞かせられている。
泥のような眠気を払いのけようと子供のようにむずかれば、女が縋る様に体重をかけて私を抑え込む。
「そう、ずっと眠ってくれればいい。小さくならなくていい、ただずっと夢を見ていて。夢の国の草原を走って。星の川のせせらぎで体を雪いで。青い太陽を浴びながらキラキラと輝いていてくれればいい。ずっと夢現に居ればいい。ずっと私のそばにいて。私もずっとそばにいるから」
耳元に流し込まれたそれは、親に縋る子の声であり、子を舐める母猫のような強引さがあった。
私は、眠っていいのだろうか。
私には価値がない。
少なくとも、ここに居てくれと縋られた事なんて、今までの人生の中で一度もなかった。
私にそばにいてとそう願ってくれる女が、ここでずっと夢を見ていてと、そう願うなら。
応えなければと、思ったのだ。
己の現実逃避を正当化するために女の願いを私は利用する。
願いの通り、私は艶やかな草原を走り、温度のない川に身を浸し、青い太陽のもとで眠るのだ。
私は眠る。
女の為に眠る。
力の抜け始めた肩に、女がすり寄りながら良かったとささやくのが遠くに聞こえた。
だから、これでよかったのだと、そう思い込んでいる。
私は夢を見る。
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