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2章 過去の話
喫茶ジャスパーの営業は午後8時までとなっている。
この店にラストオーダーという物は特にない、8時近くにやって来る客というのがそもそも居ないからだと店主の矢口は言っていた。
早めに来店して長々と居座り、8時近くになったら家へと帰っていく。この店の客層というのは大概そういった具合なのだとか。
だから、話し合いの場に喫茶ジャスパーを使わせてくれると言ったのだろう。
嫌な予定、その張本人は、8時15分に現れた。
駆け足で来たのか少し息を切らせて、キラキラとした目を一層輝かせながら玄関ドアを開けて、遅れましたと彼女は言った。
「お待ちしていましたよ、後藤さん」
「すみません、少しインタビューにてこずりまして」
20代前半に見える若い女は、私とカウンターの矢口へ頭を下げた。纏められた髪が、蛍光灯の光をつるりと反射している。
矢口はカウンターからおざなりに手を振って応えていた。
後藤の為に開けていた出入口を施錠し、再度すべての窓のカーテンが閉じられていることを確認する。
「フルタを呼んできます。少しお待ちください」
後藤はええと頷いた。
とうとうこの時間が来てしまったかと気が重くなるが、時という物は残酷且つ平等に進むものだ。
「後藤さん、こんばんは。今日は私たちのお話を聞きに来てくれてありがとう」
フルタはこの後藤という女に私たちの日常が脅かされているのだと理解していないらしい。
これには後藤も一瞬目を丸くしたが、すぐに「はいこんばんは、お加減よろしそうで何よりです、今夜はたくさんお話ができると嬉しいですね」とかえした。
テーブルには既に後藤と矢口が着いている。矢口が用意した紅茶から、白く湯気がたなびいていた。
初めて出会った時にはあまり余裕が無く、しっかり見ていられなかった後藤の顔を見やる。
若々しい張りのある頬に化粧っ気は無く、なんとも質素な顔立ちだ。小ぶりな鼻に涼しげな目、分類としては美人顔。しかし言動がどこか緩く、愛嬌がある。
店員と客人として接するなら、彼女は可愛らしい新社会人と言って差し支えない。
そんな愛らしい唇が、さて、と開いた。
「ではまず。都市伝説の『自殺ジジイ』にあなた方が絡まれていた、その前のにあったお話を聞かせて頂けたら嬉しいですね。新興宗教「救済の園」で監禁されて育ち、今もなお追われる身のフルタさん」
後藤の目が、ゆるりと弧を描く。
それを見て、やはりこの女の目は少し苦手だなと思った。なんだか深い水の中を覗き込むような気分になるし、後藤の瞳は日本では珍しい向日葵のような色をしていて嫌に印象に残るのだ。
向日葵を見るたびに後藤の事が頭に過りそうなので、正直勘弁してほしい。
「じゃあ私と苅田が出会った時のお話ね」
はしゃぐフルタを制するように肩に触れれば「私お話ってあんまり慣れていないから、苅田に説明はお任せするわ」と丸投げされた。
そうした方が良いだろう、後藤も特に不満は無いらしく、満足げに頷くばかりだ。
一度手元の紅茶を口に含む。
花のような香りがわずかにするが、学のない私には何の紅茶なのかわからない。
冷房で冷えた体にちょうどいい、腹が温まれば幾分気分が上昇した。
さて、語るにはまず思い出さねばならない。
あれは炎と轟音の雨だった。
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