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「お呼びたてしてすみません」
「いいえ。まさかお招きいただけるなんて思っていませんでした」
玄関ホールにたたずむ、柔和な笑みを浮かべた青年に使用人たちが浮足立っていた。お茶を私室に持ってくるように伝えると、さらに驚いた顔をされる。
少ない機会の中で、エイル邸で顔合わせするときにピーアニーはヨハネスを私室に招いたことはない。しかし今日は大事なことを確認するために多忙な彼を呼んだ。
落ち着いた様子で示したテーブルに着いた。ここで「女の子の部屋に入るのは初めて」なんて言われたら、あまりにも信憑性に欠ける。
「先日はすみませんでした」
「そんなそんな。僕こそ大人げなかったですね」
「今日はお願いがあって」
「……はい。なんでもどうぞ」
「…………」
彼女がそう切り出すと、ヨハネスは硬い表情で二の句を待った。重たい空気がのしかかり罪を宣告される罪人の気分になる。
「今日……いいえ、いまだけでいいの。私に嘘をつかないでください」
「え??」
「一度でいいから、あなたとちゃんと話がしたい」
「…………」
ピーアニーは一息でそう言った。早口になってしまうのが恥ずかしくて、目の前のヨハネスの顔が見えなかった。きゅっと目を閉じて、願いを伝えた。結果がどうなっても、せめてどうかこの些細な欲が、叶いますように。
「わかった。キミも嘘をつかないで教えてほしいんだけど」
「なんですか?」
「あの時の答えは教えてくれないの?」
少し固い声色に、空気が変わった。不意打ちを食らった先日とは違い覚悟をしてきたのだ。誠意を見せよう。
__「……『キミ』はなぜ2年間もこうしていられたの?」
「この婚約が決まった時、貴族という枠組みに縛られずに生きられることが嬉しかった」
「親に敷かれたレールが?」
言い方はどうあれ、それは事実だ。だから静かにうなずいた。
「伝えるつもりはなかったの。マダムカトレアと知り合って、彼女が働く姿に憧れた。女性が商売の前線に立てるなんて思ってもみなかったから。あなたと結婚すれば、私にもチャンスがあるんじゃないかって」
「結婚相手に不服はなかったの?」
「それは、あなたの方でしょう?」
「え?」
「あなたはずっと完璧な仮面をつけていたから」
「…………」
「そういう人たちに囲まれて育っているから、わかります」
「ごめん。外面だけて喋ってたのは認める……」
「私だってそうだった。家のために花嫁修業することも苦しくて。周りが結婚に夢を見て、幸せになっていく様子だって、目をそらしてた。”未来の旦那様”を盲目的に受け入れられなかった」
これがいままでの正直な気持ち。我慢できると過信していた。貴族であれば当然だから。
でもそこまで自分は大人になれなかった。不格好な体当たりで、子供じみたことしたのは私だ。
「ごめんなさい。子供みたいなことを言って。」
「え、それだけ?」
「えっ!」
「……え、僕はてっきり、婚約を白紙にされるのかなと」
「違います!!!!」
変な間があった後、ヨハネスが拍子抜けした声を上げた。それに釣られてピーアニーは声が大きくなる。大声を出したことにハッとして肩をすくめる。
「ははっ、ごめんって。僕もびっくりしてるんだ」
「~~っ!なんなんですか!もう!そんなに破棄したいんですか!?」
「やだ」
「へ??」
彼との会話ではありえないワードが飛び出してテンポが狂う。崩れた口調が距離を縮めているようで、直前でバックステップをされた気分だ。まるで猫のようだなと思う。
「嘘をつくなって言ったのはキミでしょ。だからほんとのこと言っただけ」
「……そう、ですか」
悪戯っぽく笑う顔は友人同士の気安さを覚えて少しだけ安堵した。
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