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私たちには婚約者になった日から、2人で会う機会がヨハネスの帰省に合わせて設けられている。大抵はリュバン家に招かれる形でお茶を飲みながら、当たり障りのない会話をしてそれとなく時間を過ごす。
「ピーアニー嬢、お時間いただいてありがとうございます。お会いできて嬉しいです」
「こちらこそ、せっかくのホリデーなのにいつも時間を作っていただいて感謝しています」
「さみしいこと仰らないでください。僕たち婚約中じゃないですか~」
出会った頃よりも気安い雰囲気で眉を下げて笑う彼は、相変わらず本心を隠すのが上手だと思う。
本人から直接言われたり、周りから噂を聞いたわけでもないが、彼はこの結婚を望んでいないのだろう。美術商の跡取というだけで政略結婚の義務はない。学生であったなら貴族に比べて恋愛の自由もあったはず。
いっそ本音をぶつけてもらった方が、こんな時間を作らなくてもいいのに。
2年にも及ぶ騙し合いのような時間は終わる日が来るのだろうか。
「そういえば、叔母上の相手をしていただいてありがとうございます。うちの父からもお礼を言うようにと」
「私が好きで会いに行ってるだけですよ。あのお店大好きなんです」
「ピーアニー嬢は、僕より叔母上の方が仲良しで妬けてしまいますね」
「最近学業がお忙しいとマダムから聞きました」
お世辞は聞き飽きているので私はあからさまに話題を変えた。この関係を私は理解している。歩み寄ることさえ許さなかったのに、試すようなことを言わないでほしい。
お互いの社交性もとい外面の良さが招いたやりとりは、社交界のそれのようで少し息苦しい。
「僕も上級生になりましたからね。下級生の面倒を見ることも増えたんですよ」
「あっ、この前‘‘papillon‘‘でもお見掛けしました」
「う~ん……たくさんいるからどの子だろうな。学術院の女の子たちにも人気なんですよね。口コミって広がるの早いな」
この話題はダメなのかな、と直感で感じた。彼はよく喋るようであまり自分のプライベートなことは話したがらない。
ここで私が、偶然マダムによって紹介された彼の後輩にあたる少年と3人でお茶をしたと言えば、いい顔はしないだろう。
「魔術学部は人数が多いと家庭教師から聞きてます。でも、お店が人気になるのはなんだかうれしいです」
「叔母もお客が増えることは喜んでました。仕入れの系統を少し変えたようで」
「やっぱり!手前に並んでる商品の雰囲気が変わりましたもの」
ずっと思っていたことが当たり、普段よりテンションが上がってしまった様子で私がそう言うと彼は少し驚いたように目を丸くした。
「ご贔屓には敵いませんね。多分あなたは僕よりあの店に詳しい」
「ええ。否定はできませんわ」
私たちがお互いのことを知らないのは、事実なのだからこの関係に期待はしていない。
それにこれが家にとっても、私にとっても良いご縁なことは確かだ。
***
「ごきげんよう。マダムカトレア」
「これはエイル嬢、ようこそいらっしゃいました。奥様から連絡をいただいておりますわ。どうぞ奥へ」
エルツィの外れにあるアンティークショップ『papillon』は私のお気に入りの店だ。
幼い頃に父に連れられて誕生日プレゼントを選びにきた頃から足繫く通い、店主にも良くしていただいている。
重厚さを感じさせるシックな空間と、少女心がくすぐられる可愛らしい造形の共存が隅々までそこにあった。幼かった私はすっかりアンティークの虜になり、初めてのお小遣いで買い物をしたのもこの店だ。
店の奥の応接用のテーブルセットを挟んで、目の前に座る女主人__カトレア・リュバンと向かい合った。
「さっき通りで美味しいお菓子を買ってきたのよ。一緒にいただきましょう」
「ありがとうございます」
てきぱきと並べられたティーセットの準備を進めている彼女はヨハネス・リュバンの叔母にあたる。
初めてこの店に来た頃、父が幼い私にマダムカトレアを紹介してくれた。彼女は元貴族の出身で当時から商才を発揮していたところをリュバン家に見出されたのだ。
貴族の女に生まれることは、商いの世界に縁がないことにも等しい。もし彼女が貴族のままどこかの貴族に嫁いでいれば、前線に立って客商売など縁遠い人生になっていただろう。現に貴族はおろか王室相手にまでその手腕を遺憾なく振るっている。
彼女を知れば知るほど、その姿に強くあこがれた。結婚によってこんなにも人生は自由になれるんだと。
目標やあこがれのようなものがあると、人は少しだけ変わろうとするみたい。
何となく、姉と一緒にやっていた習い事に身が入らなくなってしまった時期があった。知りたいことが山ほどできた時期で、目の前の芸事に身が入らなかった。ぼんやりと家の中のアンティーク家具にも目を奪われていたっけ。
そんな私の様子を父はなんとなく察知したのか、家督継承者である弟に近い環境に置いてくれたのだ。しばらくすると、勉強の内容が少しずつ変わった。
母には、芸術家やデザイナーの集まるサロンに一緒に連れられることが増えた。
「お前は姉弟たちの中では、すごいコレクターになりそうだな」
と父は嬉しようなどこか苦笑した様子で私を見守ってくれた。
それから月日が流れ、マダムカトレアとの縁もあり、リュバン家との縁談が持ち上がったのだ。
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