歳三の石田散薬

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夢は雲と一緒に次から次へと風に乗って流れ、やがて歳三は現実へと戻された。 売れ残りをどうすべえ。 後に十四代将軍さま――徳川家茂(とくがわいえもち)公――警護のための浪士組募集に応じて都へ上って王城の治安の維持に努め、新選組の鬼の土方と恐れられるこの男も今はまだ、本日分の石田散薬を如何にして完売するかに悩んで頭を抱え込む、名もなき一介の百姓の若者であった。 「しょうがねえ。またあれ(・・)に乗っかるしかあんめえ」 歳三は起き上がるが早いか、手頃な大きさの枝をへし折り、小刀で大雑把に削って即席の木剣をこしらえた。歳三が常に持ち歩いている小刀は無論、脇差しと呼べるような代物ではない。脇差しよりもずっと小さい。歳三は士分ではないから太刀も脇差しも持たない。百姓町人であっても旅装でさえあれば脇差しを腰に差して歩いて良いことになっている。現に博打打ちたちは脇差しを差して歩きたいがために年がら年中旅装で過ごしている。だが歳三はそんな連中の小細工が逆にせせこましく思えてまるで好きになれない。どうせ男と生まれたならば、太刀と脇差しの二本を差して天下の往来を堂々と歩きたい。そもそも任侠だか仁義だか知らぬが、額に汗して働きもせず楽して博打で生計を立てるなど本物の男がすることとも思えない。 あれぁ偽物だ。 中身がうつろな、すっかすかな奴らは嫌いだ。ああいう奴らはどうにも好かねえ。 歳三は口より先に手が出るような喧嘩っ早いバラガキではあるが、何物にも代えがたい美学のようなものを持っている。後に新選組の同志として同じ道を志すも決裂して、歳三らと京都油小路で血みどろの死闘を繰り広げることになる伊東(いとう)甲子太郎(かしたろう)や、同じく同志であったが決裂して腹を切って果てる山南敬助(さんなんけいすけ)のような学者肌の連中は頭に詰め込んだ知識を学問として上っ面だけで語ろうとするが、あいにくバラガキの歳三は小難しい学才など持たぬ。だから口先ではなく木剣と拳でそれを語る。どうしても口で語らねばならぬときは、心に血を通わせて、情念で語る。
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