歳三の石田散薬

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「俺たちの勝ちだ。えい、えい、おう」 ときの声をあげる村田三吾の脇で、歳三は何とも言えぬ複雑極まる思いでみんなに合わせながら、右手をぼんやり持ち上げていた。 「トシ、一杯飲んでけや」 「やめとく。石田散薬がまだ残ってる。それを売らねばならん」 「そうか」 三吾は、帰り支度をする歳三を、不思議そうに見ている。 「トシよう、おめえんとこの家は御大尽ていうぐれえの由緒ある旧家だろう。暮らしに困ってるわけでもねえのに、何でわざわざ石田散薬なんか売って歩くんだ」 「それはだな」 歳三は言いかけながら、近くにいた少年を手招きして、先ほど拵えたばかりの木剣をくれてやった。それから三吾に向き直った。 「自分で決めたんだ。俺は生まれつき血の気が多過ぎて、田畑を耕す百姓仕事はさっぱり性に合わねえ。だから、家伝の石田散薬を売り歩く。その日の売り分は、雨が降ろうが槍が降ろうが、必ず売りさばく。やると決めたらやる。それが男ってもんだろう」 「なるほどな。さすがはトシだ」 三吾は感心していたが、やがて左右の手をぱちんと打って鳴らした。 「石田散薬、俺が買ってやる。今ある分ぜんぶ置いていけや」 いいのか? などと歳三は躊躇なんかしない。 「毎度あり」 たちまち行商人の顔となって、歳三は背中に背負った薬箱から石田散薬の紙包みをごっそり取り出した。土方家ほどではないか、村田の家もけっこうな豪農である。暮らしには困っていない。何も遠慮はいらないのだ。そもそも歳三は、石田散薬を売りさばくために、丘を越えてここへやって来た。 背中に負った荷物が軽くなった。だけではなく、心も軽くなった。歳三は実家を目指し、田畑の間の細い道を駆けた。駆けながら、夢を見ている。大きな夢だ。眠りこけながら見る夢ほど退屈でつまらないものはない。だが、昼日中に大地を駆けながら見る夢は面白い。眠らずに、目を開けて見る夢は、血が通っている。はち切れんばかりの生命が躍動している。 やがて、夢は叶うだろう。 この俺も、いつかは必ず天下無敵の名刀を手にして、歴史の大舞台に華々しく撃って出てやる。 刀は何がいい。実はもう決めてある。 和泉守兼定。 江戸の町の古道具屋で見せてもらった。圧倒された。分不相応は百も承知だが、欲しいと思った。確かにあれは大名が持つような名刀だが、いつかは大名になるこの俺だ。そんな俺が和泉守兼定を腰に差して歩いて何が悪い。俺は和泉守兼定が欲しい。 俺は歳三だ。 武州多摩郡石田村の土方歳三だ!
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