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母親
――藤田がいなくなったら、私はどうなってしまうのだろう。
その想像をするたびに私は、いつも同じ人物を思い浮かべる。
その人物は私に顔がよく似ていて、いつも男に依存していた。小さな私のことなんて放ったらかしで、いつも彼氏だかなんだかと遊び回っていた。
それは、私の母親だった。私は子供ながらに、そんな母親を見下していた。
そんな彼女は40も後半に差し掛かったところで、はじめて“本気の恋”をした。
相手はふたまわりも年下のちゃらい男だった。私が高校生の時だった。
彼女は歴代の男たちとは比べものにならないほど彼にゾッコンだった。夜中に母の部屋から聞こえてくる電話の話し声は、気持ちが悪いほどの猫撫で声だった。
彼女は体を売っていた。熟女を売りにしている風俗店に所属して、その男のためにお金を稼いでいた。
「もう高校生なんだから、自分のことは自分でやれ。自分の金は自分で稼げ」
そう言って母は、生活費すら私に寄越さなくなった。
母が家にいる時間は、自分の部屋にこもってひたすらに絵を描いていた。一晩中ぶっ通しで描くことも多々あった。
絵は、私が壊れないための手段だった。絵を描いているときだけ、私の精神は正常に戻ることができた。私には、それしかなかった。
だから私は夢中で絵を描き続けた。
結局、母親は自殺した。ふたまわり下のあの男に、騙されていたらしい。最後は惨めに捨てられて、彼女は心を病んだ。
ある冬の日。私がバイト先から家に帰ると、母は台所で手首をざっくりと切って死んでいた。
あたり一体がどす黒い血の海に覆われていて、錆びた鉄の生臭いにおいがあたりに充満していた。
私はその光景をただじっと眺めていた。悲しみも、怒りも、哀れみも何も浮かばなかった。
ただ、「母は死んだのだな」とだけ思った。
「絶対に、母親みたいになりたくない」
そんな一心で、私は美大に進む決心をした。勉強はできなかったし、他に得意なこともなかったからだ。
母親は高卒だった。別に学歴で人を判断するわけではないけれど、母と一緒が嫌だった。
高い学費を払う余裕なんてなかったから、公立のG大しか選択肢はなかった。
それまで何人かの男と付き合ったり別れたりを繰り返していたけれど、どれもみんな大して好きにはなれなかった。そんな感じだったから、当然長く続いた男はいなかった。
私は一生、男なんかに依存したりしない。藤田と出会ったのは、そんなことを誓った矢先の出来事だった。
結局私は、母と同じように藤田に依存した。
私と母は、顔も性格もよく似ていた。その事実が、いつも私を苦しめる。
いつしか私は、自分は母と同じ結末を辿るものだと信じて疑わないようになっていた。
もしも藤田がいなくなったら、きっと私は死ぬだろう。
あの時の母と同じように手首を切って、血塗れのまま惨めに死ぬ、きっとそれが私の運命なのだ。
そのくらい、私は藤田のことを愛していた。
その時中村は、どんな顔をするのだろう。悲しむのだろうか? それとも哀れむのだろうか?
あの時の私のように「美咲さんは死んだのだな」とだけ思って、ただそれだけかもしれない。
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