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甘酸っぱい
日曜の喫茶店は、なかなかの混雑っぷりだった。デート途中のカップルから、おばさま方の井戸端会議、数人のお爺さんが集まった老人会まで。
店内はざわついており、従業員たちが忙しそうにテーブルの間を行ったり来たりしている。
「美咲さんは何にする?」
案内されたテーブルに着いて、2人でメニュー表を眺める。
クリームソーダやナポリタンなどの喫茶店らしいメニューが並んでいて、眺めているだけでお腹が空いてしまいそうだった。
「私は、バタートースト。サラダとコーヒーもついてるし」
そう言った後で、自分が昨日藤田の家でフレンチトーストを食べたことを思い出してしまった。
しまった、パン被りだ。と思ったけれど、言い直すのも面倒なのでそのままトーストを頼むことにした。
「俺はナポリタンとピザトーストと…………」
中村が次々と食べたいメニューを読み上げていく。
そんなに手持ちあったかな、と思い財布の中の残額を思い出す。確か、2000円ちょっとしかなかったはずだ。
「ストップストップ。私そんなに頼めるほどはお金持ってないから」
他の人に聞こえないように、私は小声で中村を制止した。その言葉を聞いた彼は、しばらくぽかんと口を開けたままだった。
「え? 俺、美咲さんには1円も出させるつもりないけど」
今度は私がぽかんと口を開けてしまった。それはつまり、中村の奢りということだ。てっきり、年上の私が奢るのだと思っていた。
「いや、私年上だしさ。せめて自分の分くらいは……」
私は奢られることに慣れていなかった。
藤田と食事をする機会は数回あったけれど、全部割り勘だったし、なんなら私の方が多く払っていた。
藤田以外の関係を持った男たちにも、奢られたことなんて一度もなかった。
「だめ、俺が払うの。やっぱり女の人にはかっこいいところ見せたいじゃん?」
私のこと、女の人だと思って接していたんだ。どういうわけか、そのことに私は安堵した。
中村は再びメニューを眺めていくつか注文を決めると、呼び出しベルのボタンを押した。
「バタートーストひとつと、ナポリタン、ピザトースト、いちごパフェをお願いします」
店員はこのたくさんの注文にも特に動じず、淡々と紙にオーダーを書き留めて去っていった。
待っている間、私たちはエゴンシーレという作家について話していた。私は、中村と絵の話をするのが好きだった。
しかし、スマートフォンに表示されたシーレの人物画を見て、私は藤田を思い出してしまった。
長くてまっすぐな、枯れ枝みたいな指。カサカサとした質感。シーレの描く手は、藤田の手にそっくりだった。
彼の指が喉に食い込む感触を思い出して、私は顔をしかめた。今は、藤田のことは考えたくない。中村のことだけを考えたかった。
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