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はじめてくれた【中村side】
美咲さんは、危うい人だ。いつも心がゆらゆらと揺らいでいるのが見てわかる。それは、俺が彼女をよく見ているからだと思う。
昔付き合っていた女の子で、いわゆる“メンヘラ”の子がいた。
俺は彼女のことをめちゃくちゃ大切にしていたけれど、結局は浮気をされて他の男のところへ行ってしまった。
そんな過去もあって、俺は割と精神的な疾患を持っている女の子への接し方はうまい方だと思う。
だから、不安定な心を持つ美咲さんの機微なゆらめきもすぐに感知することができるのだ。
彼女と寝ている顔も知らない男に、俺は嫉妬をしていた。そいつはどんな顔をして美咲さんの体に触れるのだろうか。
そんな嫉妬心が、昨日からずっと心の中をぐるぐると回り続けている。助けなければ、なんてかっこいいことを思ったりしたけれど、そこにはかなりの割合で嫉妬の感情も含まれていた。
どうやら、思っていたよりも俺は彼女のことが好きらしい。
そう自覚してしまったからには、早速行動に移した。手を繋いでみたけれど、なんだか照れ臭くて指を絡ませることはできなかった。
俺たちは喫茶店で、他愛もない話をしていた。その時間はすごく穏やかで、心地よかった。
「中村は、私が死んだら悲しんでくれる?」
俺がグラスの中で溶けた氷をストローで弄んでいたときに、不意に彼女が投げかけた問いだ。
俺は、美咲さんが死んだ世界を想像した。自然と想像したのは自殺の現場だった。
血まみれの彼女を見て、俺は強い罪悪感にかられる。彼女の辛いことを、知っていたのに助けることができなかった。
そして、胸が裂けるような頭を強く打ちつけてそのまま割ってしまいたいような気持ちになった。
絶対に、そんなことはさせたくなかった。だから、俺は彼女に言った。
「絶対に、死なせたりしない」
「だから、大丈夫だよ」
あの藤田という男みたいに、あんたを不安にさせたりしないよ。という意味を込めて。
彼女は困ったような、けれど少し安心したような目でこちらを見ていた。
それから、俺たちは店を後にした。その後少しだけ本屋に寄って、画集を眺めた。
俺が欲しかった、ベクシンスキーの画集がちょうど売っていて、いいなと思いながら立ち読みをした。
買えなくはないが高校生の小遣いでは少々高い。ため息をつきながらその本を棚に戻そうとしたときのことだった。
「買ったげるよ、食事のお礼」
そう言って彼女は画集をすっと取り上げると、そのままレジに持っていってしまった。
「はい、どうぞ」
彼女はさっさと会計を済ませて、その本を俺に渡した。茶色いビニールに入った画集は、さっきよりもずっと重く感じられた。
「ありがとう、大事にする。一生持ち歩く!」
そう言って喜ぶ俺に美咲さんは「何言ってんの、ばか」と冷たく言い放った。
でも、彼女の頬が少しだけ緩んでいたのを、俺は見逃さなかった。
S駅の改札前で、俺たちは解散した。
「じゃあ、また明日。予備校でね」
「じゃあね……っていうかあんた、いつまでその本抱きしめてるつもりよ」
そう言った彼女は恥ずかしそうな顔をしていた。強い言い方だったけれど、そこに怒りやらの感情は見られなかった。
「今夜はこいつを抱いて寝るよ」
すると彼女はまた、「ばか」と言って、ホームへと向かって降りていってしまった。
エスカレーターで一度、彼女がちらりとこちらを振り返ったので、手を振ってみた。
すると、彼女は顔の横で小さく手を振り返してくれた。けれど数秒も経たないうちに、また前を向いてしまった。
彼女の背中が遠ざかっていく。結構、寂しいものだった。こんな気持ち、久しぶりだ。
彼女の、素直でないところも可愛らしかった。ギャップ萌えというやつだろうか。
強気な格好をした彼女の女の子らしい一面に、俺はついドキッとしてしまうのだった。
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