電話

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 さっきまではでかい声で喘いでいたくせに、私は今更になって声を押し殺した。ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、惨めったらしく泣いた。  悲劇のヒロインを気取って。私は初めから彼のヒロインでもなんでもないのに。  冷たい床に,生温かい雫が落ちて小さな池を作る。しばらくしたら藤田が戻ってきて、帰るように言われた。  きっと、電話先の女の子がやってくるんだろうなと思った。  帰り際に、藤田は私にキスをした。  「ごめんね」  なんて思ってもないくせに、優しく呟いて。  そのまま私は駅まで歩いて電車に乗った。これだけ悲しいのに涙は勝手に止まっていた。ぼうっとしたまま電車に揺られて、操られているみたいに家路についた。  ドアを開けて、靴を履いたまま部屋へと歩く。台所には使ったままの包丁があって、自分の胸に思い切り突き立ててみる。  死のうと思ったのに、私の手は震えてびくとも動かなかった。  しばらくそのままでいたら、不意に手の力が抜けて、包丁は床に向かって真っ逆さまに落ちた。がちゃん、と音が鳴って、私は我に帰った。 「結局、あの人と同じなんだ」  私の頭によぎったのは、私にそっくりな母の顔。私の顔と母の顔がふたつ並んでいて、そういうクイズみたいにだんだんひとつの顔になっていく。 「死ね」 ふたつの同じ顔が私に何度も同じ言葉を語りかける。  「あ、あ、ああ……」  私はセックスしているときみたいな、馬鹿みたいな声を出して包丁を拾う。  母と同じだ、結局。私は右手に包丁を握る。そして、左手首をじっと眺める。  ーーそのとき携帯の着信音が鳴ったけれど、私はそれを無視した。  だって、死ぬときにかかってきた電話に出るだなんて、おかしな話だ。
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