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本当の彼女は【中村side】
初めは、興味本位だった。俺はいい絵を描く人が好きだったから、単純に美咲さんがどんな人なのか気になって話しかけた。
ちょっときつめだけど、かっこいいお姉さん。それが彼女の第一印象だった。
別に、彼女に恋愛感情を抱いているわけではなかった。俺はどちらかというと、守ってあげたくなるようなタイプが好みだし。
前に好きだった人もそうだった。おどおどしてて、手を差し伸べたくなるような人。彼女は学校の先生で、最終的には振られてしまったけれど。
かっこいい人は好きだけれど恋愛対象というよりは、自分もこうなりたいという方が近かった。
「私と一緒にいて何が楽しいの?」
美咲さんがよく口にするセリフだ。外から見ていただけでは絶対にわからないことだけれど、彼女は自分に自信がない。
失礼な憶測かもしれないが、自信がないからこそ彼女は真っ黒な服装にきつめの化粧、ばちばちのピアスという強気そうな格好をしているのではないかと俺は思っている。
派手なカラコンの奥で、彼女の瞳はいつも震えていた。薄い胸の下で、様々な不安と葛藤していた。
それに気がついているのは、少なくとも予備校内では俺だけだ。他の生徒たちは彼女を恐れているし、教員たちは彼女を強い人間だと思ってビシバシと指導をしている。
つまるところ彼女は、俺にとって手を差し伸べたくなってしまう人だった。
しかし美咲さんは、俺のことを男として見ていない。
自分で言うのもどうかと思うけれど、俺は結構モテる方だ。だから、自分に好意を持っているかはその子の表情を見れば大体わかる。
好きな男を見る女の子の目はとろんとしていて、どこか虚ろだ。
蜂蜜を更にでろでろに煮詰めたような、甘ったるい涙の膜が張っているみたいな、そんな目をしている。
彼女の瞳は確かに虚ろだけれど、決して俺を捉えてはいなかった。俺ではない、どこか遠くの誰かを見ている気がしてならなかった。
彼女が見ている誰かは、どんな人なのだろう。男かもしれないし、女かもしれない。年上なのか年下なのか、それすらも俺は知らない。
そのことが、たまらなく悔しかった。
出会ったまだ1ヶ月も経たないうちにその人の多くを知ることなんてできないことはわかっているけれど、それでも俺は彼女のことを知りたいと思っていた。
本当は弱い彼女を守りたい。その理由を、俺は知っていた。
予備校の休憩時間中、何か考え込んでいる美咲さんの隣で、俺は画集を開いていた。予備校の空き時間に彼女の隣に座ることは、ふたりにとって当たり前のことになっていた。
俺はバスキアの刺激的な画面と彼女の静かな横顔を盗み見た。彼女の真っ赤に塗られた唇の本当の血の色を想像しながら。
不意に彼女のスマートフォンが鳴った。思わず音の方に目をやると、このようなメッセージが通知に表示されていた。
「今日22時、俺ん家ね」
差出人の名前は、“藤田英”
モノトーンで撮られた前髪の長い男の横顔がアイコンだった。
彼氏かな、と思った。美咲さんは綺麗だから、付き合っている人がいたっておかしくはない。
少しがっくりは来たけれど、そこまでのショックはなかった。
まだ、ちょっぴり好きなだけだったから。しかし、つぎの一文を見て、俺は震えるほどの怒りを感じた。
「来ないと、もう会わないから」
彼女はすばやくメッセージ画面を開いて、こう返信した。
「わかった、ちゃんと行く。だから、捨てないで」
その時の彼女の目がわずかに潤んでいることを、俺は見逃さなかった。
すぐに分かった。彼女はこの藤田っていう男に都合よく使われているんだと。
「この人は、俺が助けないときっとやばいことになる」
俺の直感が、そう告げていた。
これが、彼女を“守りたい”という思いから“守らなくては”という強い使命感に変わった瞬間だった。
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