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ずっと、俺のペットだよ
結局、私はそのまま藤田の家に泊まることにした。すでに終電は無くなってしまったし、タクシーに乗る金もない。
急に呼ばれることが多いから、いつの間にか下着の替えを鞄に入れて持ち運ぶようになっていた。
シャワーを浴びながら、体にへばりついた藤田と私の混じり合った汚濁を洗い流す。
クレンジングオイルなんてものはこの家にないので、普通のボディーソープで化粧を落とした。
正面を見ると、水垢でまばらに濁った鏡に自分の素顔が映った。
私は鏡をじっと見つめて、自分の顔はとても淡白だなと思った。
普段書き足しているけれど眉毛は薄いし、二重テープを外したら、目は一気に小さくなってしまう。唇の血色も悪い。
私は、決して美人とは言えない自分の顔が嫌いだった。
だからこそ、化粧の技術を磨いた。もともと絵を描いていたから、化粧は案外簡単だった。キャンバスが自分の顔面に変わるだけだから。
家の風呂場には鏡がないし、化粧の手も早い方なので、すっぴんはあっという間に塗り潰されてしまう。
私が自分の素顔を見るのは化粧初めの一瞬と藤田の家の風呂場だけだった。
体を拭いて、裸のまま彼のいるリビングを歩く。冷蔵庫から勝手にペットボトルのお茶を取り出して飲んだ。
私の飲んでいるものと同じ、どこのスーパーにも置いてある安いやつ。
彼はさっきまであれほど貪っていた私の裸になんて見向きもせず、スマートフォンでゲームをしていた。
行為以外で彼が私に関心を向けることはほぼないのだ。
手に持ったお茶を見て、私も彼も同じような生活水準なのだなと思った。
私と彼は似たもの同士だ。どちらも愛に飢えていて、セックスはそれを埋めるためのただの行為。
私は初めもそうだった。気持ちいいし寂しいのも埋まってちょうどいいな、くらいの思いしかなかった。
けれど、思ったよりも私は単純だった。何度も体を重ねるうちに、彼のことを好きになってしまったのだ。
私だけが、だ。
彼は私への気持ちなんてこれっぽっちも持っていなかった。でも、他に女がいる様子もない。
初めはもしかしたら……という淡い期待もあったけれど、そんな気持ちもいつの間にか消え失せてしまった。
彼は私に全く興味がなかったのだ。たまに優しくしてくれるのも、好意からではなく私を使い続けるためのただのまやかしだ。
「美咲はずっと、俺のペットだよ」
私がずっと胸にしまい込んでいる、行為中に彼が吐いた言葉。悲しむべき言葉のはずなのに、私はこの言葉に喜びを感じてしまった。
ペットでもなんでもいいから、彼のそばにいたかった。2番目でも3番目でもいい。彼に抱かれていたかった。
彼は、私のすっぴんを見てもなんとも言わない。それが嬉しくもあり、悲しくもあった。
「美咲、おいで」
気まぐれな彼が気まぐれに私を呼んで、気まぐれに私を抱きしめる。
そんな気まぐれに振り回される私は大馬鹿だなと思うけれど、貰えるかもわからないこの優しさを求めて、私は今日もこの家にやってきたのだ。
藤田の隣に寝転がって、自分のスマートフォンを手にとる。
「美咲さん、明日何時にS駅集合?」
中村からのメッセージだった。
明日は、中村と喫茶店に行く約束をしていたのだった。藤田に溺れていると、あらゆるものを忘れてしまう。
それほどまでに、彼の鎮静効果は強烈だった。
彼に触れていると、脳みそがとろとろに溶け出して、頭がぼんやりと曖昧になってしまうのだ。
「何時でもいいけど」
私の返信に、彼はすぐ既読をつけた。
ーーもしかして、私の返事を待っていたのだろうか。一瞬よぎったその傲慢な考えを、私はすぐにかき消した。
彼にだって、私以外との関わりはたくさんあるはずだ。家に帰ってまで私のことなんて考えているわけないだろう、と自分にツッコミを入れた。
「わかった。じゃあ12時にS駅で」
「返信待ってたんだ。嬉しくて、すぐに開いちゃった」
その後に、照れた犬のスタンプが送られてきた。黒いふわふわの犬で、まるで私についてまわっているときの中村みたいだった。
彼は、本当に私の返信を待っていたのだ。
そのことがこんなにも嬉しく感じられるのは、どうしてだろうか。
初めは彼のことを、ただの変人としか思っていなかった。
しかし、一緒の時間を過ごすうちにだんだんとその感情は変わっていった。
今私は、犬みたいに私を慕う中村のことを、ちょっぴりかわいいと思っているのかもしれない。
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