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八月十四日。
お盆休み2日目に私は実家へと足を運んだ。
とは言っても、私の住むアパートから実家までは電車六駅分でわずか300円の距離にあった。
ホームで電車を待つ私はスマホの画面の明るさをMAXにして、ネットニュースを見ていた。
と言っても、視界から得た情報は全て脳みそにたどり着くまでに抜け落ちていき、結局のところ、実家に帰ることへの恐怖心を誤魔化すことは出来なかった。
私の前を大きな浮き輪を抱えた男の子が駆け抜けていく。
「あんまりはしゃぐなよー」
そんな声が遅れて聞こえてきて、ベビーカーを押す男とその横に並んで半紙のように白く透けている女が現れた。
「は!や!く!」
その場で飛び跳ねる浮き輪を持った男の子は満面の笑みで、あまりにも眩しく、私は目を逸らした。
五年前の私なら、あの男の子に微笑むことなど容易であり、幸せのおすそ分けを堂々と強く受け取れただろう。
今の私にできることは舌打ちを堪えることだけだった。
電車がホームに着くと、私は一つだけ空いてある優先座席に躊躇なく座った。
イヤホンをつけ、スマホへと視線を移す。
なるべく車内は見ないように意識した。
興味の湧かない画面に必死に視線を貼り付けた。
さっきの子供の
「プール楽しみだね」という声だけがイヤホン越しにも聞こえてきた。
電車の振動を尻から感じ取り、このまま永久に流されたいと願う。
どこか遠くへ、私のことなんて誰1人として知らない街まで。
私が私のことを忘れてしまうくらいに、それくらい、遠くへ行きたかった。
家族で1度、奈良の山奥へキャンプへ行ったことがある。
電車とバスを4時間近く乗り継ぎ行ったその場所は、当日11歳の私にとって永遠に着かない場所であった。
9歳のユカは鮎の塩焼きを食べることを楽しみにしていた。
私は小学校の林間合宿で既に食べたことがあったから、それが私の口に合わないことを知っていたし、期待しないほうがいいよ、と何度か忠告をした。
車を持っていなかった我が家は大量の荷物を抱えていた。
「なんでわざわざ奈良県まで行くん?大阪でもええとこあるやろ」
前日の夜、眠れなくてリビングに行くと荷物を軽量化させようと必死に取捨選択している父がいた。
「あそこはな、めっちゃ星が綺麗やねん。大阪じゃ見られへん!黒い画用紙の上にビーズをばらまいたみたいな、そんな空見たないか?」
父の勢いに押されて
「見たい!」
と私が言うと、父は満足気に頷いた。
それから、「明日は疲れると思うから、早く寝ておいで」と優しく私の頭を撫でてくれた。
幸福の判定基準が低かった私は、それだけで喜ぶことができて、ユカの布団に入り込み、ぐっすりと眠りにつくことができた。
電車の中に立つ荷物を持った父と母は、なんだか周りから浮いててそれがすごいおもしろかったのを今でも覚えている。
「はい、疲れるやろ!」
そう言って私が母に席を譲ると、
「はい、パパ!」と隣のユカも立ち上がった。
2人は顔見合せ、「優しい子達だね」と笑い、私たちの頭をそれぞれ撫でて、席に座った。
私はユカの方を向き、グッ!と親指を立てる。
ユカもグッ!と返してきた、私たちは声を潜めて笑いあった。
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