朝を抱いて夜を泳ぐ

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人差し指に力を加え、少し反発するインターホンに負けないよう、ぐっと押し込む。 ピーンポーン。と安っぽい音が聞こえてきて、 「はい、西田です」と掠れた母の声がスピーカを通してザラザラと聞こえてくる。 「理子です。帰ってきたよ」 私の声を聞き、ガチャっとスピーカが切れ、その後、直ぐにドアが開いた。 「あら、おかえりー!帰ってきたのね」 最後に帰ったのは年末だったから、約八ヶ月ぶりに私はこの家に戻ってきた。 母の顔に刻まれているシワは年末よりも増えている気がして、そこから生命の儚さを感じ取れた。 「急に帰ってくるんやからビックリしたわ、さ!上がって、上がって!」 あの日よりも少し暗く感じるリビングには、未だにコタツが設置されていた。 せき止められた川のように、この家の時間は流れていない。そんな錯覚に陥ってしまう。 もちろん、父は見当たらない。 おそらく、2階の自室にこもっているのだろう。 これも、毎日のことで、この空間内における酸素の有無よりも確実に近いことだった。 私はリビングに荷物を起き、急な階段を手すりを使わずに登り、父の部屋の前まで行く。 それは過去への決別だった。 いつも手すりを使い、一段一段ゆっくりと登っていたあの頃とは違い私は間違いなく大人になった。 けど、自分の大人な部分は鏡には映らなくて、バランスボールの上のような、不安定な日常の上をゆっくりと歩く私は傍から見ると子供に近かった。 13歳の少年、少女よりも倍近くの酸素を吸っているというのに、私はダメだった。 一度も手すりを使うことなく、私は父の部屋の前までたどり着くとほんの少しだけ、あの頃よりも成長した気になれる。 軽く拳を握り、コンコンとノックをすると、 「どうした」 という活力の感じられない父の声が返ってきた。 「りこだけど、帰ってきたよー」 ゆっくりとドアノブを捻り、扉を開ける。 モワっとした空気が私の皮膚を多い、環境に適応しようと、肺が空気を押しだし、一度咳をする。 8畳ほどの部屋の真ん中にある使い古された布団が、この世界の悲しさ全てを吸い込んでしまったかのような印象を与える。 その上にいる父は猫背で、手にはあの日の新聞が握られていた。 やっぱりこの家の時の流れはおかしい。 あの日から私たちは何も変わっていない。 あの日と同じように透明の涙を流し、酸素を吸い、きっと、私たちが吐いた二酸化炭素はあの日へと吐き出される。 繰り返す今日の延長線にあるのは、堕落的な毎日だった。 「理子か、久しぶりだな」 一度だけ顔を上げた父は一気に老け込んでいた。 おそらく毎日、毎日、来る日も来る日もこの部屋であの日の新聞を見つめているのだろう。 そんな私を、 「ユカ、ご飯出来たよ!」 と、やけに明るい声色の母が呼ぶ。 この環境に染まると、おかしくなってしまいそうで、ユカが死んで1ヶ月後にはこの家を飛び出していた。
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