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電波に乗った父の声は粗く、今にも途切れてしまいそうな儚さを纏っていた。
いや、それは電波のせいではなく父が抱えている日常に対する不安と、ほんの少しの不満を含み、微弱なSOSを加味した声色だったのかもしれない。
とにかく今すぐ病院に来て欲しい。という趣旨を言い方を変え30分ほど聞かされた。
それでも私は素直に「うん」と言えなかった。
痺れを切らした父は「勝手にしろ」という在り来りな捨て台詞を吐き、電話はそこで終わった。
無性に背中が痒くなった。
どこが痒いか具体的な場所は分からないが漠然と背中が痒い。
罪悪感はなかった。
見舞いにすらいかない娘は間違いなく親不孝者だがそんなこと今に始まったわけではない。
ただ今日一日を生きるための活力は既に底をついていて私は再び布団に潜り込み目を閉じる。
相変わらず背中は痒かった。
母を失うかもしれない。しかしその知らせは不思議と私に悲しみの種を植え付けなかった。
その代わり、悲しみなんかよりももっと醜悪で忌まわしい焦燥感を叩き込んできた。
眠ることはできなかったが、それでも体は少し楽になった。
布団から出てスマホで時間を確認する。
時刻は夕方6:30分で父との電話から2時間近くが経っていた。
背中の痒みは治まっていた。だが、立ち上がってみると激しい立ちくらみに襲われ視界が水中から世界を見るかのようにグワングワンと湾曲した。
おぼつかない足取りでシンクまで行き、蛇口に口を近づけるとそのまま水道水を流し込む。
体内の熱がゆっくりと下がっていくのを感じ、喉の乾きは既にないのにも関わらず、少し無理してでも飲み続ける。
父がインターホンを鳴らしたのは、摂取しすぎた水分に後悔し、腹を抑えながらトイレにこもっていた時であった。
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