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自動ドアの開閉から自分にかかっている重力の有無を確認し、それと同時に存在を肯定する。
らっしゃいませー。と、い、を潰した「いらっしゃいませー」の声の少しあと、入口方面を見たタナカは「あ、おはようございます」と言い換える。
肩まであるその髪は私の大嫌いな金髪だった。
化粧は濃く、まつ毛はクリンと上を向いている。
細身で長身、顔は平凡だが、髪を揺らす度、自己を世間一般と区別するためか、首元にはとんがった何かのタトゥーの先端が少し見える。
全体像はもちろん知らないが、黒い墨は我が物顔で皮膚の内部に居座っている。
一度だけタナカと会話をしたことがあり、彼女はその際「20歳です」と言った。
私より5歳も年下の彼女に腹を立てることは、私の羞恥心を刺激する。
レジカウンターの中にはタバコの棚があり、1から215までの番号が書かれた透明な容器の後ろにカラフルな箱達が並んでいる。
その前に彼女が立つと痛い鮮やかさを生み出す。
「おはよ」
人との会話は億劫だ。
口に出した言葉はなんだかネトネトしていて舌を動かす神経に真っ黒な血が通ってる気がした。
故意的にレジカウンターには目を向けないようにし、事務室へと向かう。
ノックを二回し、「失礼します」と言いながら扉を開け事務室に入る。
中には誰も居なくて、店内に設置されている防犯カメラに映る映像だけが机の上のパソコンから流れていた。
「らっしゃいませー」
ザラついたその音は私の鼓膜に粘り付き、不快感を脳へと送った。
誰もいない部屋で大きなため息をつくと臓器までも落としてしまいそうになる。
口から溢れた自分の内蔵や腎臓を見下ろしながら、もう1つ大きなため息を着く自分を想像することは容易だった。
事務室にある小さな更衣室に行き、私は制服へと着替える。
八月の日差しは私の汗腺を刺激し、わずか10分程度自転車を漕いだだけなのにも関わらず、いやな汗で全身がベタついていた。
汗で肌に癒着したTシャツは既に私の一部みたいだった。
痛みこそないものの腕を抜き、頭を抜こうとすると自分の皮を破ってるみたいで、血の流れる音が聞こえそうだった。
裏返しになったTシャツを匂うと、無臭だったのは意外だった。
私の中にある私を私たらしめる養分たちを吸ったこのTシャツは断固として私を受け入れなかったのかもしれない。
裏向きになったTシャツを戻してハンガーにかける。
普段、頭が出る場所から、細く頼りのないフックが出ていた。
タイムカードを押すと、ピッという音ともに現在の時刻が表示された。
18:00
今から4時間もの間、私は「コンビニ店員」という属種になる。
西田理子という札を付けた、コンビニ店員だ。
体内から生み出される感情をコントロールし、自分の思考を制御し、脳みそに指示を送り自発的に動く必要はない。
ただ、ルールブックに沿えばいいのだ。
なので、この時間は西田理子ではない。
人類という大枠の、コンビニ店員という小さな枠の中。
名前など必要ない。
名札は付けた。
ルールだからだ。
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