朝を抱いて夜を泳ぐ

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事務室のドアを開けると売り場からの冷たい冷気が流れ込んできた。 汗は引き、体は蘇るが、人工的なその空気は私には合わない。 空調機から出る作りたての加工物である空気を肺いっぱいに溜め込み、自分の酸素として処理し、そして、口から二酸化炭素として吐き出す。 この作業が腹の臓器たちをギュッと締め付けるのだ。 ポケットからマスクを取り出す。 それを付けるとほんの少しだけ強くなれる気がした。 つまり、強さとは本来の自分を隠すことである。 甲冑を着た戦士も、防具を付け戦う剣道家も、私の配信に集まる匿名の性欲達も。 ゆっくりと息を吐き、体を慣らすように、ゆっくりと吸う。 それは小学生時代に、「足からゆっくり入れよ」と注意喚起を受けた水泳の授業を連想させた。 売り場に出て、タナカに「おはよ」と言う。 「おはようございます」 タナカのその声はコンビニではなく、どちらかと言うと居酒屋に適していた。 とにかく不快だが、今は我慢する。 頭に湧く感情は重力に従い、足元へ落ち、地面へと伝わる。 レジカウンターの中へ入り、手を洗う。 そんな私の後ろから、 「3点で865円になります!」という元気な声が聞こえてくる。 甲高いその声は空洞な私の体内で反響し、その反動で思わずバシャバシャと手を強く洗ってしまった。 服へと飛び移ってきた泡に、舌打ちする。 背後でタナカが振り向いた気がしたが、「お前にしてないねん」とそれすらも苛立ちを加速させる。 無性に何かを、全てを壊したくなる時がよくある。 大切であればあるほど、それは良い。 そんなものをぐしゃぐしゃにしたいのだ。 私にとって、それこそが自己愛であり、自己防衛であるのだ。 ところが最近は自分の大切なものすら見つからなくなってしまった。 幸せ以外のもので飽和された日常は、苛立ちの矛先すら与えてくれないのだ。 「トイレ掃除してきて」 私の声は入店音でかき消され、タナカが「すいません、なんて言いました?」と申し訳なさそうに聞き直してくる。 たった一言話すのに、私は莫大な体力を使うというのに、こいつは何も分かっていない。 「だから、トイレ掃除してきて」 さっきより少しだけ大きな声で言った。 「分かりました!」 その返答は私の望むものとは違っていた。 言い返して欲しいのだ。 私はタナカと言い合い、喧嘩がしたかった。 なんでもいいから言い返して欲しかった。 そうすれば私はマグマのようにグツグツと湧き出る赤い感情を狭い器に溜め続けることなく発散出来るというのに。 強い語気は行くあてを失い、結局私の中で消化される。 そして、副作用とし私の中になんとも情けない感情を植え付ける。それはスクスクと育ち、いつしか瞳から溢れ出そうで不安だった。 姿を消したタナカの代わりに私はレジを打つ。
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