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ユカの死は私たちの生活から何かを減らしたのではなく、全く別のものへと作り替えてしまった。
そして、ユカの死が、母の中で私を殺した。
母と父と私はいつもより1人分少ない夜ご飯を用意し、日常の中で普通に生きていた。
「ほら、テレビばっかり見てるから理子は食べるの遅いねん」
そう言う父の茶碗はすでに空っぽで、でも、私はそれを男と女の差と認識した。
「関係ないって、私、常に食べるの遅いもん」
「けど、さすがに遅すぎちゃう?」
笑う母にわざと聞こえるようにため息をつく。
「ため息ついたら幸せ逃げるで」
そんな母の言葉に
「お母さんのせいやん」と反論する。
私は少し笑い、そして、ご飯を口いっぱいに詰め込む。
少し甘味を感じる白米を、私の歯がすり潰していく。
一つ一つではなく、無数の米を同時に潰していく。
唾液と混じり、どんどん小さくなり私は喉をならしそれらを体内へと流し込む。
その繰り返しが食べるという作業なのだ。
私は昔から食べることがそれほど好きではなかった。
何かを食べて「美味しい」と感じることはもちろんある。
しかし、「美味しい」と感じる食べ物も、そうは思わない食べ物も、どちらも等しく空腹を満たしてくれる。
そこになんとも言えないやるせなさを感じるのだ。
味付けなんてものは、人が効率よく体内にガソリンを注入するためにつけたものであり、本来いるものでは無い。
それを「娯楽」と呼ぶ人もいるが、私からすればただの「蛇足」だった。
もちろん腹は空く。だから、何かを食う。
しかし、
私の中で食事はそれ以上の意味を持たなかった。
そんな私だから、夜ご飯の献立なんかは食べ終わった30分後には忘れてしまう。
「明日の夜ご飯なにがいい?」
母に聞かれても
「なんでもいい」としか答えたことがない。
だが、その夜の献立は5年経った今でも覚えている。
春巻き、豆腐の味噌汁、ピーマンの肉詰め
そして、白ご飯。
ユカが死んでからも何度か母に
「明日の夜ご飯なにがいい?」と尋ねられた。
そういう時、決まって私は
「春巻き」と言う。
もう一度、今度は幸せな電話がかかってくるような気がするからだ。
もしくは、もっと悲しい知らせを待っているのかもしれない。
膨大な不幸の中に今抱えている悲しみを溶かしたかった。
そして、薄めた悲しみで夜眠りたかったのだ。
でも、その度に母は悲しそうな顔をする。
そして、私の方を見て
「春巻きはやめようよ、ユカちゃん」と言う。
母の中で西田理子は死んでいる。
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