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希望駅
小学五年生の夏、夏とはいっても過ごしやすくなってきた八月中旬だ。
光はようやく仮面を外しても安心できる場所を見つけた。
「カタミミアトリエ」
家の近く、近くといっても雑木林の中にある小さなアトリエだ。
アトリエは老夫婦が絵を描くために使われており、いわゆるファンタスティックな絵、置物、言葉がアトリエを飾っていた。
アトリエの隣は大きな広場になっており、誰でも入れるようになっていた。
広場のちょうど真ん中に位置する石タイルの上には毎日更新される一言看板が置かれており、さらに広場の中にはブランコ、ベンチ、アート作品が並ばられていた。
光は放課後よくこの広場に行っていた。
カタミミアトリエは光にとって考え事をするのに最適な場所だった。
老夫婦ともいつの間にか仲良くなっており、たまに挨拶を交わしていた。
このような場所は幸せな人には現れない。
ただそれは魔法とか神様とかそういうものじゃない。
幸せな人には気づけないだけ。
光は中心にある一言看板が好きだった。
一言看板はアトリエの老夫婦が毎日交代で書いている。
おじいさんの‘一言‘はいつも励まされる。
おばあさんの‘一言は‘はいつも切ない。
「愛は案外目に見える」
今日はおばあさんの言葉だ。
それを見た後はベンチに腰を下ろし、その言葉の意味を考え、ようやく自分なりに納得出来たら、次はこれからどうすればいいかを考える。学校や家で考えるときはこの種のものは光に憂鬱さを与えた。しかしアトリエで考えるとなんとなく心地が良かった。
心の声をハッキリとさせるのは本当に難しい。かならず前に「そんなような」や「なんとなく」が必要になる。アトリエにいると彼らが本当にいい役割をしてくれる。どんな思いも何かの可能性を持っている。それがアトリエにいるとポジティブになる。
「やあ。光さん」
おじいさんはアトリエにある花壇に毎日水をやっている、その時いつものように光に挨拶をする。必ず「さん」を付けて。
光はこくりとする。たまに「こんにちは」と言葉がでることもある。
しかし光にとっておじいさんはアトリエの一部だった。おじいさんがいなければアトリエに行く理由も一つ減ることになる。
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