0人が本棚に入れています
本棚に追加
夕日のさしこむ、放課後の教室。
カーテンを旗めかせて、窓から風が吹き込んでくる。
忘れものを取りに戻ってきた私は、あっけにとられて、石像みたいに固まってしまった。
六時間目が終わってからずいぶん経っていて、先生が残っている職員室以外は、ほとんど明かりがついていない。
五年二組の教室は、校舎の四階。
私の席は、まんなかの列のいちばん後ろだった。
用事がすんだらすぐに帰るつもりだったから、天井の明かりはつけていない。
空はまぶしいくらいの夕焼けで、教室の中までオレンジ色に染まっている。
机に入れっぱなしだった色鉛筆とスケッチブックを救出して、さあ帰ろう、と思ったときだった。
私は、だれもいないはずの教室で、一瞬、だれかと目が合ったような気がした。
となりの席には、なぜか男の子のズボンとシャツが落ちている。
その中から、一匹の猫が息をひそめて、顔をのぞかせていたんだ。
「へ?」
私は、思わず変な声を出してしまった。
自分の見ている状況がうまくのみこめなくて、目をごしごしこすって、もう一度よく見据える。
真っ白の、さらさらした毛並。
薄茶色の、くりくりした瞳。
小さな口をぽかんと開けて、目をまんまるにして、私のことを見つめている。
私も私で、両目をぱちくりさせながら、白猫のことを見つめていた。
ほんのちょっと見つめ合っていただけなのに、私には永遠みたいに感じられた。
その時、静けさを打ち破るみたいに、また教室に風が吹き込んだ。
私の長い髪が、ふわりと空気をはらむ。
白猫がじりり、と一歩後ずさった。
戸惑う顔が、あまりにも愛おしくて。
「ね、猫ちゃん可愛い……!!」
私は白猫を、力いっぱい抱きしめていた。
白猫が「ふにゃっ!!」と、びっくりした声を上げた。
「めっちゃいい匂いする!」
「おい、ちょっと」
「超ふわふわしてるー」
「は、はずかしいからおろせって」
「首輪してないね。野良猫ちゃんかな?」
「犬塚さん、離してくれ!」
思う存分もふもふしていたら、耳元で必死な声がした。
背中がヒュッと冷たくなったような気がした。
きょろきょろとまわりを見てみたけど、もちろん、この教室には私のほかにだれもいない。
つまり、この声は――。
「ね、猫ちゃんがしゃべった……!」
私は後ずさり、床におしりをつきそうになってしまった。
胸に手のひらを当て、机につかまりながら、なんとか持ちこたえる。
こめかみに汗がにじんだ。心臓がドキドキと脈打っている。
白猫は自分の首をさすって、はずかしそうな、困ったような顔をしていた。
ふつうの猫なら、ぜったいにできないような表情だ。
私はある日とつぜん、不思議の国に迷いこんでしまったような気持ちになった。
「どうして? なんで猫ちゃんがしゃべってるの?! しかも、なんで私の名前を……」
意味がわからなくて、目を白黒させていると、小さな口を動かして、やっぱり猫がしゃべった。
「俺は猫じゃない。人間だ」
すずしげな男の子の声だった。
机にひょいと飛び乗り、こちらに向き直る。
ふわふわのしっぽが、宙でさらりと揺れた。
四月のそよ風の中。
夕焼を背景に、白猫が自己紹介した。
「俺は宮鈴人。今月転校してきた、きみのクラスメイトだよ」
最初のコメントを投稿しよう!