1. 猫になった男の子

2/6
前へ
/56ページ
次へ
 夕日のさしこむ、放課後の教室。  カーテンを旗めかせて、窓から風が吹き込んでくる。  忘れものを取りに戻ってきた私は、あっけにとられて、石像みたいに固まってしまった。  六時間目が終わってからずいぶん経っていて、先生が残っている職員室以外は、ほとんど明かりがついていない。  五年二組の教室は、校舎の四階。  私の席は、まんなかの列のいちばん後ろだった。  用事がすんだらすぐに帰るつもりだったから、天井の明かりはつけていない。  空はまぶしいくらいの夕焼けで、教室の中までオレンジ色に染まっている。  机に入れっぱなしだった色鉛筆とスケッチブックを救出して、さあ帰ろう、と思ったときだった。  私は、だれもいないはずの教室で、一瞬、だれかと目が合ったような気がした。  となりの席には、なぜか男の子のズボンとシャツが落ちている。  その中から、一匹の猫が息をひそめて、顔をのぞかせていたんだ。 「へ?」  私は、思わず変な声を出してしまった。  自分の見ている状況がうまくのみこめなくて、目をごしごしこすって、もう一度よく見据える。  真っ白の、さらさらした毛並。  薄茶色の、くりくりした瞳。  小さな口をぽかんと開けて、目をまんまるにして、私のことを見つめている。  私も私で、両目をぱちくりさせながら、白猫のことを見つめていた。  ほんのちょっと見つめ合っていただけなのに、私には永遠みたいに感じられた。  その時、静けさを打ち破るみたいに、また教室に風が吹き込んだ。  私の長い髪が、ふわりと空気をはらむ。  白猫がじりり、と一歩後ずさった。  戸惑う顔が、あまりにも愛おしくて。 「ね、猫ちゃん可愛い……!!」  私は白猫を、力いっぱい抱きしめていた。  白猫が「ふにゃっ!!」と、びっくりした声を上げた。 「めっちゃいい匂いする!」 「おい、ちょっと」 「超ふわふわしてるー」 「は、はずかしいからおろせって」 「首輪してないね。野良猫ちゃんかな?」 「犬塚(いぬづか)さん、離してくれ!」  思う存分もふもふしていたら、耳元で必死な声がした。  背中がヒュッと冷たくなったような気がした。  きょろきょろとまわりを見てみたけど、もちろん、この教室には私のほかにだれもいない。  つまり、この声は――。 「ね、猫ちゃんがしゃべった……!」  私は後ずさり、床におしりをつきそうになってしまった。  胸に手のひらを当て、机につかまりながら、なんとか持ちこたえる。  こめかみに汗がにじんだ。心臓がドキドキと脈打っている。  白猫は自分の首をさすって、はずかしそうな、困ったような顔をしていた。  ふつうの猫なら、ぜったいにできないような表情だ。  私はある日とつぜん、不思議の国に迷いこんでしまったような気持ちになった。 「どうして? なんで猫ちゃんがしゃべってるの?! しかも、なんで私の名前を……」  意味がわからなくて、目を白黒させていると、小さな口を動かして、やっぱり猫がしゃべった。 「俺は猫じゃない。人間だ」  すずしげな男の子の声だった。  机にひょいと飛び乗り、こちらに向き直る。  ふわふわのしっぽが、宙でさらりと揺れた。  四月のそよ風の中。  夕焼を背景に、白猫が自己紹介した。 「俺は(みや)鈴人(すずひと)。今月転校してきた、きみのクラスメイトだよ」
/56ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加