3 説明会と川

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「まあこんな感じかな」 「……帰っていい?」 「ダメです。今帰ったらもう二度とここに来ないでしょ。ちゃんと説明会を開催しないとね」  二階、一番説明に手間取っていた大きな部屋で彼女は呼吸を整える。欠陥の無い湖畔を写した千ピースのパズルが綺麗な額縁に飾られ、飲みかけの炭酸水がコップに注がれたこの家で一番生活感を感じる部屋。彼女がこの場所を選んだ理由が何だか分かりそうで、矯正の話の時と同じで的外れの可能性があったのであまり気にしない事にした。 「この家に来れば給料をあげる」 「給料……」 「現金とも言うね。つまりアルバイトしに来ると思ってよ。お金の為にここに来るの。そう思えば余計な事考えなくてもいいでしょ?」  アルバイト。確かに今の僕はお金が欲しい。お小遣いが月に千円なので手頃な飲食店に一回入るだけでも底が見える。当然趣味もお金も使う機会が無いので貯金はあるが、車の免許であったり大学の入学金など未来のイベント事ではお金は幾らあっても困らない。今現在の僕は何も無いが、未来の自分なら幸福になっているかもしれないという馬鹿げた投資を、僕は絶対に辞められない。 「僕の脳には、お花畑が詰まってる」 「妄想のお話?」 「そう、妄想の話だ。何も無い癖に脳の栄養を吸ってぶくぶくと育っていくんだ。そして知識を奪って、僕は更に馬鹿になる。そんな妄想をずっと延々と繰り返してる」 「へー大変なんだね」  彼女はだ。  ジョウロの中に満杯になった水で、僕の頭をドロドロに溶かしていく。美味しすぎる話と都合の良い設定。ノーリスクハイリターンでこの快適な空間で過ごせる。脳味噌の花畑も喜んで僕にこう囁くだろう。  受けない理由がないからやれ、と。  気に入らない。心の底から気に入らない。  頭から爪先まで操り人形になりたくない。なってやらない。意思こそ人間の心臓足りえるのだから。 「君は多分、言い訳を探しているんだね。お花畑とかそんな有りもしない幻影で断る理由を探してる時点で、語るに落ちてるんだよ」 「……君もやっぱり分かってくれないよな。断れば弱みで脅される。逃げ道を塞いで甘い言葉で僕を誘惑している。君はとんだ悪魔だ」  価値観の壁をこれ程感じる経験は無かった。周りの環境によって人格は形成されると言うが、これはもう環境というより欠陥のせいだと思う。そもそも変えられない人間の気質がそうさせている。  何も知らない他人を言葉巧みに惑わして自分好みに塗り潰してテイスティングしている。奴隷を作るつもりなら最上の方法だが、同級生にやるならもっと上手い方法がある。僕はやらないし出来ないが。  西野透花という存在は周りを歪ませる。  思い出というヘリテージに放火して高笑うその姿が目に浮かぶ。優しさという武器で脳を軽率に傷つける。  僕に優しくする人間なんて居ないのに、馬鹿みたいな笑顔で、何度も何度も傷つける。その痛みは痛覚を介さない、内側から心を蝕む蜘蛛の爪に似ている。
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