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「今契約成立させると、アイスバーを一本プレゼントするよ! あと時給も二百円上げるよ!」
「……はあ」
僕は結局の所受け入れるしか無い。
「どうせやるしかないのか。……契約書を持ってきて」
受け入れるしか無いが。
「やったあ、じゃあ八月からよろしくね! あ、映画観る? 面白いサメ映画知ってるの!」
全ては受け入れない。
この八月という時間に見合った対価を受け取って、西野透花の弱点を知ってやる。これは恐らく初めて僕に芽生えたプライドだ。
馴れ合いの裏で必ずこの花畑を枯らしてみせる。
「ソーダ味を持ってきたぞー」
「契約書は?」
「そんな急かさないでよ。映画も始まるし、ルーズにだらだら行こうぜ」
二本目のアイスバーで乾杯を強要され、仕方なく僕のアイスバーの先端で挨拶すれば、喉を鳴らしてご満悦の様子だった。
彼女は広告を飛ばして字幕と音響設定を完了し、チャプターの終盤から再生を始めた。
「は!? ここクライマックスだろ!?」
「私この場面好きなんだよねー」
「そんな話はしてない!」
リモコンを奪おうと手首を掴むが、逆側の手に僕の右足を捕まえられ、爪を立てられた。「痛い!」と絶叫する僕をそのままソファから蹴落とした。床の微かに暖かい温度が皮膚に伝わった。
「あ、今日は親帰って来ないからいつまでもいて良いからね」
「痛ってえ……って、帰ってこない?」
「……最近は放任主義なんだよ、ははは」
一音一音大切にして微笑みを象った表情の中、目だけは明確に笑っていなかった。今までで一番の暴力性を孕んだ圧を感じて冷や汗が出たが、その怒りは僕に向けてというよりも彼女の内在的な何かに向けての殺意の様だった。
結局川に行かなかったが、川よりも涼しいこの空間に不満は無かった。彼女の様子を気にしながら溜息をついて映画を最後から観始めた。今日という濃密な一日のせいで何も入ってこなかったが、ただ何となく居心地は悪くない家だなと鼻で笑った。
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