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「秋野さんは多分、自分の血肉しか信頼してないのですよね。視線恐怖症の兆候があるのも、死んだ様な目をしているのも、周りの世界を信頼出来ないから」
「そんな大層な事じゃない。ただ疲れたってだけだよ。君との会話も含めてね」
厳しい視線に少し哀が混ざった。哀れまれているのか可哀想だと思われているのか知らないが、それもどうだって良かった。
「ホームルーム始めるぞー」
担任が教室に入り、丁度よくチャイムも鳴った。
そこからの記憶は睡眠のせいで覚えていない。
次に起きた時、僕は机の上で突っ伏していて、隣で彼女が遊びの誘いを受けている場面だった。
「西野さんもこっちで遊ばない? 女の子もちゃんと連れてくるからさ!」
この声は蒲池の声だった。声が誰よりも大きくて皆から慕われていたり笑われていたり、端的に言えば人気者だった。高校生にとって野球部に所属しているというステータスは想像以上の効力を持つ。蒲池がよく恋人を取っかえ引っ変えしているという噂は、耳にタコが出来る位に聞いた。
「すみません……。夏休み中は予定が入ってまして」
「えー? 一日位は空いてるでしょ!」
「あはは……」
困った様子の彼女を見て気味が良いと思ったが、人間関係の構築に苦労しているのを間近で聞いていると、僕よりよっぽど人間として出来ている。それが面倒事からの解放の為だとしても、社会性を確保するという努力を否定する根拠にはならない。
「まあいいや! またどっかで会えたら遊ぼうな!」
「断られててやんのー!」
「あ!? うっせえ!」
蒲池は女の子二人と鞄を持って急ぎ足で帰っていった。僕はタイミングを見計らい、丁度今起きて帰る所だとアピールする様に大きく背伸びをした。いつの間にか周りに人は僕と彼女だけになっていた。
「あれ、まだいたんだ」
「途中から起きてたよね?」
「……根拠は?」
「人は本当に寝ていると唾を飲み込む回数が著しく減るんだよ。君は時折唾を飲み込む為に体を微かに揺らしていた。QED、証明完了……」
本当に目敏い人だ。僕は両手を上げて降参のポーズをとる。「当たりー!」と大袈裟に喜んで僕の手を取り強く叩いた。皮膚は赤くなった。
「……痛い」
「嘘つきには罰を与えねばならんからねえ」
「マフィアか?」
暴力を振るう事に何の躊躇も無いその姿はやっぱり普通の思考ではなく、一方で人付き合いを放棄する訳でもない。正常と異常の間を反復横跳びしている。
「という訳で罰をもう一つ与えます!」
「えぇ……爪とか剥がすなよ?」
僕の自尊心という架空の肉体から血が吹き出して泣いていて、どうしてこういう場面で反論出来ないのかと泣きたくなる。
ついてきて、と手招く彼女がまた笑った。
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