4 花畑と花瓶

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 当然だが人間の頭には花は咲かない。  僕も比喩として花畑と形容しているが、そもそもその妄想が頭の中で発生したのは、庭のスイートアリッサムが枯れた時だと思う。恣意的に枯れ落ちたそれを見たのは小学四年生の時、まだ宿題正義を掲げていた時分の頃だ。  真面目さが唯一の取り柄だった僕は弟と母親に水遣りを任され、毎日欠かさずにジョウロを持っては、洗面台の水を注ぎ、外の花壇に水を与えた。呼応する様にスイートアリッサムはすくすくと育ち、その白い花弁を現した。朝の陽光が満遍なく降り注ぎ、朝早起きする僕へのご褒美を与えてくれた。新鮮な酸素を肺一杯に吸い込み、春風が肌を撫でる。とても良い日常だった。  だが花というのはいつか枯れ落ちる。どれだけ愛情を注いで育ててもいつかは必ず。所詮これは日常的な出来事で、何も思わない人の方がずっと多い。でも僕はそうでは無かった。  「こいつらは僕を裏切ったんだ」と当時の僕は考えてしまった。あれだけ勤勉に取り組んで育てていたのに、勝手に居なくなったと思い込んだ。その自己中心的な解釈は日を追う事に肥大化していき、遂には種族を飛び越えて人間について考え始めた。    人間もいつか枯れる。  残機の無いたった一人の僕は花の様にいつかは死ぬ。体が成長していってもこの間抜けた思想は引き継がれ、幸せ一歩手前の状況になってもこの一連の出来事を思い出し、上手く笑えなくなった。  脳内のお花畑は今も成長を続け、それと対比する様に自分は枯れ落ちて死んでいく。妄想だと自分でもはっきりと分かっている。でもだからといってどうすればいいかなんて僕には分からない。  誰も僕には真に触れられないし触れてほしくもない。  彼女にとって別荘や性格が当たり前である様に、僕のこの花畑も当たり前になってしまって、悩みでも無く病んでいる訳でも無いただの幻想だと思い込めていたのに、彼女の出現で花畑が悩みに変わってしまった気がする。  意欲は花に吸われたかの様に日を追う事に低下し、僕には何にも無くなった。でもあの日に水遣りしたスイートアリッサムは頭の中で今でも咲いている。他には沈丁花、向日葵、パンジーなども共犯者になって僕の脳内に寄生している。この目で見た事のある花は大体、脳内に棲みついてしまって離れない。  お願いだから、僕に外の景色を見せないでくれ。今更幸せを僕に教えられたってあの時の僕は救えないし、思想の鳥籠から抜けられない僕はまた幸せ一歩手前で軽率に崖に落ちるだろう。 「理由なんてないよ」  彼女の言葉がまた呪いに変わる。  アイスバー、シュークリーム、給料、蝉の声、豪邸、教室の冷房、蜘蛛の爪、エレファントインザルーム、八月の契約……。  この一週間で脳に色々な情報を与えすぎてしまった。今はただ薄い布団にくるまって清潔な空気を吸っていたい。何も考えたくない。  西野透花は今一番脳内で蠢いてはいけない強烈な栄養だ。『自分を変えるきっかけになればいい』だなんて昔の自分なら絶対に考えなかった。  自分の有り方が確実に変容している。  本当に堪らなく恐ろしい。  何かを手に入れてまた呆気なく枯れ落ちるのが。
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