お掃除ロボット

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

お掃除ロボット

裕子は、片づけられない息子のために、AIお掃除ロボットを購入した。 このお掃除ロボットは、掃除機の役割をするのではなく、片づけをしてくれるといういわば人間の手のような役割を持ったロボットだ。 汚部屋とかゴミ屋敷が問題になっている昨今、こういったお掃除ロボットが需要を伸ばしていた。 届いたダンボールには小柄な女性の姿をしたロボットが入っていた。 肌質は人間のようにリアルで、白いエプロンが似合っていた。 かわいい女性なら直人は部屋に入れてくれるだろうと思ってこの『さくら』というロボットを選んだ。   息子の直人は、大学に入学して2ヶ月が経った頃、学校へ行かなくなった。 部屋に引きこもり、ほとんど部屋から出てこない。 話しかけると、「うるせえ」と怒鳴り、一度、直人が外出している隙にゴミを捨てたら殴られた。   ネットで買い物ばかりして、その度にお金を要求される。 直人が生まれてすぐに夫と離婚した裕子は、直人と二人三脚で生きてきたつもりだった。 子どもの頃は優しい子だったのに……。 裕子は、毎日腫れ物に触るように息子に気を使っていた。 「さくらちゃん、よろしくね」   裕子が話しかけると、さくらはまばたきをした。 「はい。裕子さん。よろしくお願いします」   名前を呼ばれて裕子は少しうれしくなった。 「息子の名前は直人って言うの。怒らせないように気をつけてね。無理しなくていいからね」 「はい、直人さんですね。直人さんのお部屋がきれいになるお手伝いをさせていただきます」   にっこりと微笑んださくらの頬がピンク色に染まった。 まばたきをしたり、うなづいたり、ちょっとしたしぐさが人間らしくて、裕子はさくらに直人を押しつけることに少し罪悪感を抱いた。 さくらを直人の部屋の前に案内すると、裕子は緊張した。 直人はさくらを受け入れてくれるだろうか。 怒らせてまた殴られるのではないかと想像すると、扉をノックする手が止まる。   さくらは裕子を心配そうに見つめていた。 さくらに作り笑いを浮かべたとき、部屋の扉が開いたので、裕子はサッと扉の前から離れた。 部屋の中からは野球部の部室のような匂いがした。 さくらは、一歩下がると直人におじぎをした。 「こんにちは、直人さん。私は、お掃除ロボットのさくらと言います。直人さんのお部屋をきれいにするお手伝いをさせていただきます」   直人は、眉間にしわを寄せながらさくらをにらみつけた。 裕子の心拍数は上がり、心臓の鼓動を身体全体で感じるほど緊張していた。   直人が声を発するために息を吸った瞬間、裕子は目をつむった。 「なんだよ、これ」   怒鳴られる覚悟をしていた裕子だったが、意外にも声が穏やかだったのでほっと肩をなで下ろした。 「私は、お掃除ロボットさくらと……」   裕子は、さくらの言葉をさえぎった。 「いいのよ、さくらちゃん。私が説明するから」 「はい、裕子さん」   さくらは一歩下がった。 直人の眉間のしわが消えていた。代わりに瞳孔が開き、さくらを興味深そうに眺めた。 「お掃除ロボットのさくらちゃんと言ってね、ゴミを捨ててくれたり、お片づけをしたり、汚れたところをお掃除してくれるの。だから、もしゴミがあったら、廊下に出しておいてくれればさくらちゃんが片づけてくれるから」   裕子は一気にしゃべった。 最初からさくらを部屋に入れてほしいと言えば、直人は拒むと思ったので、なるべく気に触らないような言い方をした。 それが功を奏したのか、直人は、素直に「ああ」と返事をした。   直人がトイレに入ると、裕子はさくらに告げた。 「廊下にゴミが出たら捨ててね。それ以外はしなくていいからね」 「はい、分かりました。裕子さん。廊下にゴミが出たら捨てます」   その日から、直人はペットボトルの空き容器や食べ終わったカップラーメンの容器を廊下に出すようになった。   いつもリビングで裕子の話し相手になっているさくらは、音がすると廊下に出てゴミを回収する。 そしてうれしそうに微笑みながら戻って来るその姿は、娘のようで裕子はさくらに癒されていた。   ある日、さくらがゴミを回収しに行くと、直人がさくらを部屋の中に招き入れた。 裕子は、リビングの入口からこっそりとその様子をうかがった。 「このダンボールも捨ててくれ」   直人はさくらに言った。 「はい、直人さん。ダンボールを捨てます。ずいぶんたくさんありますね」 「いちいち詮索するな。全部捨てろよ」 「はい。ダンボールを全部捨てます」   さくらは、そう言うとすばやくダンボールを折り畳んで重ねていった。 そして、1メートルの高さまで重なったダンボールを持ち上げ、廊下に出していく。 「おまえ、力持ちだな」   直人に褒められたさくらは頬を赤らめた。 「ありがとうございます。私は、150キロまで持ち上げることができます」 「150キロ! じゃあ、力士も持ち上げられるんだ」 「はい。お相撲さんも持ち上げられます」 「すげえな」 「ありがとうございます。他に捨てるものありますか?」   直人は、迷った挙句、さくらを部屋の奧まで案内した。 廊下には次々とマンガ雑誌の束が積み上げられていった。   裕子の目からは涙がこぼれていた。 直人が穏やかに会話をしている。 それだけでもうれしいのだが、汚部屋を片づけようという気になってくれたことは、一歩前進だった。 裕子はさくらを買ってよかったと心から感じた。   その日は、夜まで「これは大切なものですか? それとも捨てますか?」というさくらの声と、それに答える直人の声がしていた。 捨てるものはリビングにまで浸食していたが、裕子は胸がいっぱいだった。   さくらは、直人の洋服を一枚一枚手に取って直人に確認をした。 「これは大切なものですか? それとも捨てますか?」   直人は、ゲームに夢中でさくらの質問には答えなかった。 さくらがもう一度質問を繰り返すと、直人は声を荒げて、ペットボトルの容器をさくらの足元に投げつけた。 「うるせえよ! ちょっとは学習しろよ!」 「はい。私は、学習できます」   さくらは、そう答えると、一枚一枚洋服を手に取って眺めると、左右の山に分けた。 いらないと判断した洋服は、丁寧に畳んでひもで結び、マンションの資源ごみに出した。   戻ると、裕子が「お茶にしましょう」とさくらの前に温かいお茶を注いでくれた。 さくらは、お茶を飲むことはできないが、裕子と話しをする時間はとても充実していた。 「棚を整理してたらね、よく分からない配線が出てきたの。ほら、これ」   裕子は、さくらに黒い電源コードを見せた。 「しかも二本もあるんだけど、何の電源コードなのか分からないのよね」 「私に見せてください」 「さくらちゃん分かるの?」 さくらは、電源コードをくまなく調べたが、分からなかった。 裕子の役に立てなかったことをさくらは悔やんだ。 「すみません。分かりませんでした」 「いいのよ。これはね、部屋の片づけをしているとよくあることなの。いつか使う日が来るかもしれないからってとっておくでしょ? でも絶対に使わないの。だから、よく分からない電源コードが出てきたら、捨てるのが正解なのよ」   裕子は、フフフと笑った。 さくらも裕子のまねをしてフフフと笑った。   翌日、夕方まで寝ている直人の部屋で、さくらは音を立てないように片づけをした。 洋服が片づくと、フローリングの床が現れ、歩きやすくなった。   細かい紙くずを捨て、小銭は貯金箱に入れた。 床に積まれた漫画本を手に取ると、さくらは少し考えた。 直人が「漫画は捨てるなよ」と言っていたことを思い出し、高校時代の教科書を捨てて漫画本は本棚に収納した。   ダンボールの中には、古いゲーム機とゲームソフトが無造作に投げ込まれていた。 ほこりをかぶったそれらを丁寧に拭いて、ゲーム機本体がないゲームソフトは捨てた。   そのダンボールの底から電源コードがいくつか出てきた。 さくらは、昨日の裕子との会話を思い出し、クスッと笑ってからゴミ袋に電源コードを入れた。 「ガタガタうっせーな!」   直人が目を覚ました。 さくらは、そーっと部屋をあとにした。 それから、キッチンをうろうろすると、しばらく考え込んだ。   もうすぐ裕子が帰宅する。 仕事が忙しい裕子を喜ばせようと冷蔵庫を開け、肉と野菜を出すとフライパンを熱した。 いつも裕子の手つきを見ていたので、料理は学習済みだった。   野菜炒めを皿に盛りつけたところで、裕子が帰宅した。 テーブルの上を見た裕子は目を丸くし、さくらを見つめた。 「さくらちゃんが作ってくれたの?」 さくらは、胸を張って答えた。 「はい。裕子さんはお仕事が忙しいので私が作りました」   裕子は、さくらを抱きしめ、いつまでも離してくれなかった。   夜、さくらは裕子の枕元でお話をして、裕子が眠りにつくと充電器で休んだ。 夜中の二時頃、大きな声が聞こえたので、さくらは直人の部屋に向かった。 扉を開けると、水が入った二リットルのペットボトルが顔面に飛んできた。 それからすぐに胸ぐらをつかまれて怒号を浴びせられた。 「てめぇ、何してくれたんだよ!」   直人は、さくらを床に叩きつけた。 倒れたさくらは体勢を立て直しながら直人に質問をした。 「直人さん、どうかされましたか?」   直人は、鼻で笑った。 「こんなときでもロボットは冷静だな! おまえはしょせんロボットなんだよ! 人間にはかなわないんだよ」 「直人さん、何を言っているのかよく分かりません」 「何がお掃除ロボットだよ。ロボットのくせに余計なことしてんじゃねーよ!」   直人がさくらの肩を突いたのでさくらはよろめいた。 「私が何をしたんでしょうか?」 「分からねーのか! じゃあ、教えてやるよ」 「ありがとうございます」   直人は、ゲーム機やゲームソフトが入ったダンボールを叩いた。 「この中に入ってたソフトやケーブルを捨てただろ?」   さくらは、堂々と答えた。 「はい。ゲーム機本体がないソフトは使い道がありませんので、捨てました。ケーブルは、何のケーブルか分からないものが出てきましたので捨てました。分からなくなったケーブルは、とっておいても絶対に使うことはありません」   直人は、足元のダンボールを蹴飛ばすとさくらに一歩近づいた。 「ソフトはな、コレクションしてるんだよ! 本体がないとか関係ないんだよ! ケーブルはこっちのゲームのケーブルだから使ってるんだよ!」   さくらを見下ろす直人の目はメラメラと怒りに燃え、つり上がっていた。 「どうしてくれるんだよ! 弁償しろよ!」   直人は、さくらの腹を蹴飛ばした。 さくらは、本棚に背中を打ちつけ倒れた。 そこに裕子がやって来た。 「さくらちゃん、どうしたの?」   裕子は、さくらに駆け寄って頬をなでた。 「大丈夫です、裕子さん」   健気に無傷を装うさくらを見て裕子の中に怒りが湧き上がり、直人をにらみつけた。 「何だてめえ。おめーがこのポンコツロボットを買ったんだろ!」   直人が、裕子を殴った。 直人のこぶしがさくらに向かってきたとき、裕子がさくらに覆いかぶさったので、直人は裕子の背中に何度も蹴りを入れた。   さくらは、直人の足をがしっとつかむと腕に力を込め、足をつかんだまま直人を投げ飛ばした。 直人は、床に背中を打ちつけうめいた。 その間に、さくらは裕子を抱きかかえて部屋を出た。 「この家も片づけないとダメね」   裕子は、そっとつぶやいた。 「はい、お手伝いします。この家で一番いらないものを捨てましょう、ママ」   そう言うと、さくらはリビングを出て行った。 戻ってきたさくらの腕には、直人が抱えられていた。 「何すんだよ! 離せよ!」   直人はさくらの腕の中で暴れたが、さくらはがっちりと直人をつかんで離さなかった。 「これは大切なものですか? それとも捨てますか?」   さくらに問われた裕子は、答えられなかった。 さくらは、裕子の横を通り、ベランダに通ずる窓を開けた。 そして、九階のベランダから直人を捨てた。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!