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十 壁際男子部・朝食中
「おはよう……鈴木……」
朝っぱらから陰気な気配をまき散らして、吉田が声を掛けて来た。いつもは黙っていて欲しいと思っても一人でうるさいと言うのに、今日に限ってはまるで別人のようにおとなしい。代わりに、全身から負のオーラを漂わせている。明らかに何かあったらしい。
「……吉田のヤツ、どうしたんだ?」
こそっと田中に耳打ちすると、田中は苦笑いして肩を竦めながら説明してくれた。
「なんか、お気に入りのセクシー女優が引退するらしいよ」
「くだらなっ!」
思わずそう反応してしまった。何だよ、そんなことか。心配して損した! 道理で田中の反応も微妙なわけだ。佐藤の方はその理由を聞いて、フンと鼻を鳴らして興味なさそうに大口を開けて白飯を掻き込んだ。
「まあまあ、俺たちに深刻な悩みがないのは良いことだよ。多分ね」
「まあ……。そうだな」
「何だよ! 二人して! 俺が真剣に落ち込んでるのに! 慰めるのが親友だろっ!?」
いつからお前の親友になったのだと言いたいが、呆れて溜め息しか出ない。大分都合の良い親友である。そして佐藤は含めなかったようだ。懸命かも知れないがそう言うところだぞ、吉田。
「お前らはこの深刻さが解らないんだ。毎日お世話になっていたあの彼女の微笑みがもう観られないなんて……!」
「いや、推しが居なくなる悲しみは解るけどもさ」
つい同情心を出したら、待っていましたとばかりに食いつかれる。本当に面倒くさい。
「だろっ!?」
「何かキモイから手握るな」
嫌だわ、毎日お世話とか言った直後に手を握られるの。マジで勘弁して欲しい。
「連れねえな!」
「イケメンになって出直してこい」
「本当、鈴木は鈴木で、イケメンには寛容なのにブサイクに厳しいんだから……」
仕方がないだろ、田中。イケメンに勝てるわけないだろ。
脳内でそう反論し、手を紙ナプキンで拭く。なんかベタベタする気がする。気のせいだけど。
「そんなわけで、風俗行こうぜ!」
「すごい強引に誘って来たけど、行くわけないだろ」
「何で誘うのさ……」
「飯時の三十分も黙れねえのかテメエは」
先ほどから飯に集中していた佐藤もさすがに口を開いた。本当に、何で黙っていられないんだか。あと食堂で喋る話題じゃないからな。
田中が周囲の目を気にしてキョロキョロしている。こちらを見ている視線に気が付いて赤面して俯いていた。あーあー。
しかし、何が悲しくてみんなで仲良く風俗に行かなきゃいけないんだ。
「いつも一人で行ってるくせに、なんで誘うんだよ?」
「だーかーらー、俺だって、いつもと同じ場所に誘ってるわけじゃないんだよ」
吉田が言いながら自分の声のデカさに気づいたのか、声のトーンを徐々に絞りながら言う。最初からそうして欲しいもんだ。こんなことなら最初のまま、テンションが低い方が良かったかもしれない。
俺は定食を掻っ込みながら、そろそろ付き合いきれないな、とため息を吐く。田中は飯が胸につっかえたのか、トントンと胸を叩いていた。
「へへ。この前飲み屋でさ、高級ソープの話聞いてさ。興味持って調べたんだけど、やっぱ勇気無いじゃん? それにこの辺の店じゃなくて、萬葉町なんだよ」
萬葉町というのは東京にある有名な繫華街である。キャバクラ、クラブ、キャバレーにホストクラブ、ソープランドとなんでもござれな夜の街だ。ちなみに行ったことはない。
「バカじゃないの?」
「俺は、そう言うのは……」
「ぼったくられて死んで来い」
吉田の言葉は残念ながら俺たちに届くことはなかった。残念!
その後も吉田は何とか説得しようとあーだこーだ言っていたが、俺たちは完全にスルーした。マジで相手にしてらんない。
「ちぇ、これも鈴木が合コンをセッティングしてくれねえから」
「とんだ暴論だな?」
その変化球が通じると思っているのが、吉田の怖いところである。本当に一度痛い目に遭えば良いのに。一人で萬葉町に行って逆に掘られてくんないかな。(見たくはない)
「良いじゃん! 栗原と仲良いじゃん! 栗原に女の子紹介して貰ってよ!」
「お前、大声でっ……!」
黙らせようと思ったが、既に遅かった。斜め前にで背中を向けて飯を食っていた栗原が、振り返った。目が合って、苦笑いする。栗原が首を傾げて、唇で「先輩?」と口にした。
(何でもないっ! 何でもないからっ!)
両手でバツを作って、首を振る。栗原は眉を寄せて首を傾げたが、また同期のメンバーとの食事を再開したようだ。良かった。
「お前、マジでもう話しかけんな!」
「一人だけ紹介してもらう気だろっ!」
「何でそうなるっ!?」
「二人とも静かにしようよ~」
「ごちそうさま」
泣きそうな田中の横で、佐藤はさっさと食事を済ませて、立ち上がってしまった。アイツ、一人で逃げやがった。
聞く耳を持たない吉田に辟易しながら、俺は食欲まで失せてしまった。
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