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本日の任務は海外から首都へと訪れたロックバンド“ベリル・タッチ・スローンズ”のメンバー警護。
などと言ったものの楽屋、会場は事務所が雇用したSPたちが固めており、私がすることと言えば幕の袖に控えて舞台中かつ舞台上の有事に備えるだけだ。
“ベリル・タッチ・スローンズ”は世界を股にかけるメジャーバンドではあるけれども、国内外を問わず本日まで大きな襲撃事件などの履歴は無い。少なくともそういった情報は提供されていない。AIである私に油断などという事象は存在しないが、特に大きなトラブルは起きないだろうと予測している。
ド派手なオープニングからまずは通して三曲。そこからMCが入り四曲目とライブはつつがなく進行していく。
不思議な気持ちだった。いや、人工知能に気持ちという表現は正しくないか。
常に舞台周辺を中心に会場全体を観察しながらも、任務に直接関係の無いノイズとも取れる考察が優先順位の低い処理領域下で展開されていた。
一曲一曲、何度も繰り返し聴く要求、同時に次の曲を聴く要求、矛盾するふたつが小刻みに発されては要求動機の不明さと優先順位の低さから却下され続けている。
そして無視出来る程度とはいえ全く無意味な負荷を生み出すだけのその処理を止めるべきだと分かっていながらそうしない自分に不可解さを感じている。
そう、感じている。
なんの行動にも繋がらない考察処理などまさしく無意味の極致だ。
蒔苗担当官の話では私がこうあるべきと考えるAIは“自律思考”であり“人工知能”の前段階なのだそうだ。
私は
“自律思考し行動する人型機械”
ではなく
“機械の身体を持つ一個の知生体”
として生み出されたらしい。
だから余裕の許す範囲で無駄な処理を繰り返したり特に合理性の無い行動をするのは正常な動作の範疇であり、個性なのだそうだ。
だとすればこのバンドの曲を聴く動作を繰り返し要求する行為はつまり好きとか気に入ったとかいうことなのだろうか。
それは良いことなのだろうか。けれどもこの無駄な処理を繰り返す行為は、そう、人間的に表現するなら「心地良い」のだろう。
……そして予測に反して事件は起きた。
衆人環視のプログラム真っ最中。舞台直上の照明が破裂し黒煙と炎を伴ってガラス片が降り注ぐ。
しかし驚いて行動が遅れるなどということはアンドロイドには無い。爆発の瞬間には舞台を凝視して行動を策定。
成人男性四人、着衣とギター、ベースまで含めた総重量271kg。楽器は彼らが手放さなければ積載しても支障無いが配慮まではしない。ドラムとキーボードは諦めて貰う。
ルート選定の判断まで合わせて0.1秒も要しない。脚部人工筋肉の駆動制限を解除して飛び出すと右手でベーシストを掴んで小脇に抱え、左手でギターボーカルを右肩に積み上げて舞台奥へ90度方向転換。ドラムセットを蹴り上げて固まっているドラマーのベルトを辛うじて開けておいた右手でしっかり掴むとさらに90度、私から一番遠くに立っていたキーボード目掛けて全身を弾き出し、すれ違いざま左手一本で確保しながら逆の舞台袖へ滑り込んだ。
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