弐拾玖(最終話)

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 視線を上げられないまま、足について恐る恐る部屋を出る。  廊下を抜け、階段を静かに降りていく。  向かっているのはどうやら、本来夫婦の寝室として使われていた和室だ。そこには陸の骨壺が安置された、真新しい仏壇が置かれている。  稲本夫婦の話し合いが行われた場でもあるからか、なんとなく近づきづらくて、なかなか足を踏み入れることさえできない。だから優斗が心の中の陸に話しかけるのは、いつもあの日記を前にしたときだけだった。  ドアを前に、足が止まる。そしてそのまま、空気中に溶けるように掻き消えた。  思わず声を上げそうになった瞬間、鼓膜を揺らさないまま、声がした。 ──いつか、助けてあげて  意味がわからず、中空を見上げる。しかし当然そこには、もう汚れた足の痕跡すら残ってはいなかった。  助けてあげてとは、誰の話だ。  豊のことではないのか。  理解が及ばないままその場に立ち尽くした優斗の鼓膜を、今度こそ話し声が揺らした。  和室の中で、友理奈が誰かに話しかけている。──否、恐らく陸の位牌に向かってだ。
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