AI保育について語る記事の1ページ

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「AIが見てくれる保育園は絶対安全だから安心して預けられる」  こういった口コミが広がり、京都府内で人気沸騰、待機児童200人という大型保育園の名が『AI《あい》保育園」であった。  近年、保育士による事故が多発し、預けたいのに預けることが出来ず、それにより仕事が出来ず、貧困家族が増えるという現象が生まれていた。それを解消すべく、京都保育協会が苦肉の策として作り上げたのが保育を徹底的な管理のもと行うAI保育士のみで設立されたAI《あい》保育園だった。  保育協会では保育の理想の形は結論として出されるものの、その理想を叶えられるような保育士が存在しなかった。言葉にするのは簡単なのだが、いざ行動にしようとすると“体力がもたない”“咄嗟に動けない”“頭と身体がついてこない”“毎日維持するのは非常に困難”“時間が足りない”“人が足りない”“教科書通りの子などいないのでそもそも理想な保育をするのが不可能”と現場の人間である保育士たちから苦情が殺到し、資格を持った保育士が保育士という職を辞めるという事態が多発し、『人ではなくロボットを作るしかない』というやむを得ない状況となってしまっていたのだ。  初めての試みということもありどんな反響となるか不安を募らせるものであったが、いざ運営してみると「子どもがトイレに一人でいけるようになった」「お箸を早く使えるようになった」「手先が器用になった」と保護者からの声は喜びで溢れんばかりであった。そのため、世間からの反感や批判が溢れかえっていても『AI保育士は間違いなく安全』という太鼓判を押されたことにより『AI《あい》保育園』の運営は可能となっていた。  ただ、ロボットは感情がない  それゆえに、とある問題が生じた。  AI保育士によって育てられた乳児は、幼児の時期まで成長するとどこぞの軍隊のような動きを成す。誰もが同じ動き、同じ成長、同じタイミングで食事をし、排泄をする。  まさに、教科書通りの成長を成していると言えるだろう。  これを喜ぶ親は勿論いるが、まるでロボットのように教科書のお手本かのごとく育った子どもに「個性」を一欠けらも見いだせなくなった親は「子どもを返せ」と苦情を述べ、SNSで「ロボットではなくやはり人並の温かさを」と拡散し同意を求める姿が見られた。  ここで筆者が述べたいのは、AIが埋め尽くされた時代は何を選ぶのか、だ。  安心・安全を第一に考えるために感情を捨てるAIか。  感情を選び、疲弊・困憊に見舞われている人間か。  保育は、体力勝負であり、精神の強靭さも必要とされる。  そんな過酷な職場で働くのは今現在でも女性が多く、中でも家庭をもった女性が求められることが殆どだ。  そうなると、その女性に強いられるのは保育という仕事だけでなく家庭の育児・家事も求められてくる。  彼女たちを守るためには、全てをAIにしろとは言わないまでも、何かしらAIの助けが必要なのではないかと考える。そういう意味では、『AI《あい》保育園』の試みは保育業界に新たな光を照らしているのではないだろうか。  今後も保育業界はAIの発展を試みるそうなので、その行く末を是非見守りたいと思う。 《終》
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