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いつからだろう。物心ついたときには姉の姿が見えていた。そして、その姉の姿がほかの人には見えていないことに気がついていた。中学生を過ぎた頃だったろうか。母は、見えているくせに姉のことを見えていないふりをしていることに気がついた。そして、姉は特にそのことについてなにも言おうとしなかった。
みーちゃん、もとい、姉の峰子は私にとって一番の親友で、味方だった。姉とは言っても誕生日はちょうど一年違うだけだった。話も合うし、笑いのツボも一緒だった。初めてふられた日なんて、一緒に大声で泣いてくれた。私にイジワルをした相手には、相手から見えないのをいいことに、ちょっと小突く程度の軽い仕返しはしてくれた。重い荷物を一人で運ぶのを手伝ってくれたりもしてくれた。
みーちゃんが私から見えなくなる日がくるだなんて、考えたこともなかった。
「くーちゃんは、お母さんのこと…スキ?」
ある日突然、みーちゃんが私に聞いた。いつになく深刻そうな顔をしていた。明日は高校の卒業式って日に、なんでこんなこと言い出すんだろうとは思った。
「スキっていうか、ねぇ、家族だしね、キライじゃあないよ。ケンカもするけど。」
「そうだよね。」
「…うん、そうだよ。」
「あたしのこと、聞いてみてよ。」
「え?」
「峰子のこと覚えてる?って、聞いてみてよ。」
「なんで?」
「…ダメ?」
「ダメじゃないけど、なんでいまそんなこと言い出すの?」
「ずっと…、ずっと聞いて欲しかったんだけど、言うタイミングがなかったんだもん。」
「で、なんでいま?」
「…さっき、お母さんの部屋に行ったら明日の卒業式に着ていくお洋服用意してて、くーちゃんのためにはそんなオシャレして、いいなぁって。あたしの命日にはオシャレどころか、お墓参りにも来てくれないのにって…。」
私は「そうだっけ?」と言おうとして、あんまりにも白々しいのでやめた。確かにお母さんはみーちゃんのお墓参りに行ったことがない。お仏壇に写真もないし、みーちゃんのことを話しもしない。ある頃から、みーちゃんが亡くなったことはお母さんにとってあんまりにも辛い想い出で、私が聞いちゃいけないことなんだって、そう思ってた。
でも、思えば、私だってみーちゃんのこと、もっとちゃんと知りたいんだよね。私にとっては唯一の兄弟だった訳だし、どうして幼少期に亡くなってしまったのかってことだって、教えてもらっていないんだもの。なんとなく、聞いちゃいけないことなんだって自分に言い聞かせてきちゃったんだよね。
夕方になって、お父さんが帰ってきて、三人で食事を始めた。「明日は卒業しきだね」、「いよいよだね」、「いろいろあったね」なんて、そんな話で尽きなかった。「ごちそうさま」を言おうとして、母の後ろに立つみーちゃんの姿を見て、いまどうしても聞かなくちゃいけないんだってそう思った。みーちゃんの感情を伴わない無表情のその顔が、とてつもない恐怖を私に与えた。
「あのさ、お母さん。」
「なあに?」
母は食器を洗い始めるところで、私には背中を向けていた。
「みーちゃん、覚えてるでしょ?」
返事がなかった。数秒待ったけれど、振り向いてもくれなかった。お父さんの方を向いたら、お父さんも固まっていた。湯呑を口につけるところで固まってしまったようだった。私は慌てて立ち上がって、父の湯呑を握った手を揺さぶった。湯呑は父の手からこぼれ落ち、床を打ち、お茶が水たまりを作った。だのに母は振り向かない。食器を洗うはずの水が流れっぱなしになっている。
「お母さん!」
私は母にかけよって背中を揺さぶった。母も、父と同じように固まってしまっていた。
私はどうしたらいいものか、部屋の中を見廻した。
キッチンの片隅、右上の天井の方で、峰子が薄ら笑いを浮かべていた。身体は見えず、顔だけが見えていると思ったのに、どんどんと色褪せて、最後に消えそうになったとき、父と母とが両脇から峰子を抱き抱え、三人で私を見つめた。無表情な三人の顔が私を見つめたと思ったら、三人ともにスーっと消えていってしまった。
私は一人、取り残された。
キッチンに一人取り残され、茫然自失していた。
流し台では水が流れ続けていた。
そして突然、玄関がけたたましく叩かれた。あんまり激しく扉が外側から叩かれたので、私はなにをどう思ったらいいのかも分からないくせに、玄関へと向かって扉を開けた。
扉の向こう側には女性が立っていて、私の姿を見るなり強く抱きしめた。そう、私のことを強い力で抱きしめたのだ。
「良かった!ここにいたのね!!」
彼女はそういうと、私の顔を見るために力を緩めて身を少し引いた。そこには歳老いた峰子の顔があった。母の年齢ほどの峰子がそこに立っていた。その女性はまたもや私のことを強くできしめてこう言った。
「綸子、私の娘。ずっと、ずっと探していたのよ!」
なんだか訳が分からないまま、彼女に抱きしめられて、私は涙を流し続けた。流しで流れている水の音なのか、自分の涙が流れている音なのか、分からないほどにずっと、ずっと涙を流し続けた。
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