AIの君と本物の君と

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 ――僕の妻はある時からAIの妻と、本物の妻の2人になった。  僕が浮気でもしているのかって……? いや、そんなことはない。まだ結婚してから2年ぐらいしか経ってないし、それにこの人とならという強い意志があって僕は彼女と結婚したのだから。  じゃあ、今の時代が平安時代とかみたいに妻が何人もいるようなスタイルなのかって……? いや、そういうわけでもない。今、AIの技術が進んだこの時代でもそういうものは存在しない。  たしかに妻は2人だ。だが、実質は1人だ。  つまりどういうことかというと……言葉を探してこれを説明するのは難しいけれど、少し話しておきたい。  これは少し前の話だ。夕飯のための買い物から帰って来た彼女が、肩の後ろになにか長方形で、長さ15センチ弱の不思議な機械なようなものをつけていた。僕がその機械みたいのはなんだと問いかけると、彼女はその機械に見覚えがないと言ったけれど、その瞬間、彼女が急におかしく動き回った。そしてさっきは何も表示されていなかったその機械には【AI】と表示されていた。  彼女は急にテキパキと掃除を始め、いつもなら苦手なミシン作業もあっという間にこなしてしまった。なにがなんだか理解が追いつかない。ただいつもと違う彼女を僕は見ていることしかできなかった。  でも、そんな感じに彼女がおかしくなったのは、ものの30分ぐらいだった。だけど、これは流石(さすが)におかしいと思い、そのことを翌日機械に詳しい友達に聞いたら、 「たぶんそれはAIと表示されたときにだけ、一時的にAIになってしまうんだよ」  というそんなおかしな回答を頂いた。あの機械のせいで【AI】と表示されたときには彼女がAIになってしまう……? 例えるのなら二重人格なようになってしまう……ということだろう。 「でも、大丈夫だよ。そういうのを経験したことある人を何人か知ってるけど、1ヶ月ぐらいで何事もなかったみたいな感じになるから。まあ、こういうAI社会になってるし、そこまで不思議なことでもないよ」  そうは言われても、1ヶ月近くもAIの彼女と本物の彼女が混ざっている中で過ごしていかなきゃいけないなんて……正直言うといやだ。だって1回のAIに変わってしまう時間が30分ぐらいだといっても1日に何度もなるから実質1日の半分近くはAIの彼女だ。僕が好きなのはもちろん本物の彼女。だから僕はそんなのは耐えられない。でも、彼女が専業主婦だったこと、それだけは周りに迷惑をかけることはないから救いだったかもしれない。 「ごめんね、私のせいで今日も買い物を……。あ、仕事もおつかれさん」  買い物を済ませてから帰り、ドアを開けると、包こんでくれるように出迎えてくれた彼女がいた。その正体は―― 「あの……一旦後ろ向いてくれる?」  毎日こんな事を聞いて悪いなとも思いつつも、どちらの彼女か気になるのでそうお願いする。でも、今日も特に嫌な顔することはなかった。 「あっ、うん」  それから、彼女はくるっと半回転した。とくに今は何も表示されてない。つまり本物の彼女だ。僕は少し安堵する。  洗面台でしっかり手を洗ってからリビングに入る。テーブルの方からなにか美味しそうな匂いが漂ってくる。  今日の夕飯は、きのこや野菜が衣で包まれている料理――天ぷらだった。 「これは、AIの方、かな……」 「そうみたい。私が作った覚えはないから、AIの方の私が作ったやつかな」 「そうか、なんかその辺の料亭に出てきそうなAIのクオリティだもんね」  昨日は出迎えてくれたのはAIの彼女で、夕飯は本物の彼女が作ってくれた具沢山のオムライスだったが、今日は立場というかが逆みたいだ。  AIの作ってくれた料理はもちろん様々なことを学習しているというのもあって、見た目はシェフとかの専門の人が作るように完璧な美しいもので、味ももちろん美味しい。でも、彼女が作ってくれたときに感じる心の温かさだったりいうものが感じられなくて、それが少し寂しい。 「いただきます」 「いただきます」  妻と一緒に手を合わせてご飯を食べる前の挨拶をする。  AIが作ってくれたと思うと、少し残念な部分はあるが、こうやって本物の彼女とご飯を食べられることは幸せかもしれない。  まず、しいたけの天ぷらをとって食べた。まあ、味は普通に美味しい。美味しいのは確かだが、なにか物足りない。 「……」  あと、AIが作ると困ったとこが1つある。この食事に関してなんと言えばいいかわからなくなるということだ。おいしいと正直に言えば、なんか本物の妻じゃなくてもいいと言ってるようなものだし、あまり美味しくないといっても一応は彼女が作ったものなので、否定してるようでなにかいやだ。だから自然と無言になってしまう。 「ねえ、私は自分で作ってるから、あまりわからないんだけど、AIの私が作ったやつと、本物の私が作ったやつって、ぜんぜん違うの?」  僕が無言だからか、彼女が突然そう聞いてくる。 「うん、僕はぜんぜん違うと思う。だから早く元に戻るといいな……」 「戻ったら、前みたいに休日はデパートに行ってお互いの服を買ったり、恋愛映画を見たりしようね!」  彼女が子供みたいな笑顔を見せて、そう僕に言ってくる。AIの彼女は絶対に笑顔なんて見せないから、この笑顔の価値は僕にとっては凄く大きなものだ。欲張りを言うのなら毎日見せて欲しい。だから、早く戻って欲しい。 「うん、もちろん! じゃあ一応、約束しとく?」 「うん、約束」  僕は妻とこんな年でやるのは少し恥ずかしかったけれど、指切りげんまをした。早く戻ることだけを僕は今、望んでいる。笑顔をずっと見せてくれるその日が早く戻って欲しい。 「そう言えば、最近、私ね、家の中で運動を頑張ったから、見た目じゃ分からないかもしれないけど、少し痩せたんだ!」 「そうなの? すごいじゃん!」  たしかによく見れば若干痩せているような気がする。家の外に出ることはほとんどできない状況なので、それを逆手に運動を頑張ったんだろう。彼女らしい。 「でも、バランスボールを乗ろうとしたら全然できなくて……ただ抱くだけ用になっちゃった」 「ははっ」  食事の時間、AIの彼女ならゲームなどを考案して楽しませようとしてくれるが、本物の彼女はこういう楽しい話で僕を楽しませてくれる。もちろん僕はこういう子供みたいな無邪気なところが見える話をしてくれる本物の彼女の方の楽しませ方が好きだ。 「あのさ、今日は一緒に寝てくれない?」 「えっ、どうしたの?」  その日の夜、僕が寝ようと布団に入ったところで、妻は僕の部屋に来て、少し恥ずかしそうな顔をし、うずうずしながら僕にそうお願いしてきた。さっきまではAIの彼女だったが、どうやら今は何も表示されてないので、元に戻ったみたいだ。何か、怖くなってしまったんだろうか。 「うん、いいよ」 「じゃあ」  そう言って彼女はゆっくりと僕の布団に入ってきた。2人で寝るのなんてたぶん婚姻届を出した日以来だろう。だから僕は自然と心の体温がゆっくりと上ってきている。 「じゃあ、電気消すね」  電気消してとセンサーに合図すると一瞬で電気が消えた。このあたりから光が消えて、暗い世界になる。でも、僕の心だけは明るいままだ。 「今日はどうしたの?」 「なんか、怖くなっちゃって……」  僕の予想通りそういう気持ちがあったみたいだ。僕にはその怖さを十分に理解することなんてできないんだろうけど、僕が思ってる以上にAIになる自分が怖いんだろう。本物の自分でいられなくなるのが、怖いんだろう。 「うん、大丈夫だよ」  僕は彼女を少しでも安心させるために頭を優しくさすった。やわらかい感触。そしてほのかに甘いシャンプーの香りがする。 「くすぐったいよ……」  また、見えた。彼女のかわいい笑顔。ずっと瞳から離れない笑顔。 「あのさ、1つ聞いてもいい?」 「ん? なに?」  少しだけ彼女の表情がさっきと変わった。大事な相談を今からする……そんな感じの表情だった。僕もそんな彼女の表情に少し身構える。  単純な質問なのかもしれないけど、そう彼女は前置きして僕の目をしっかり見てから話し始める。 「AIって何でもこなして完璧じゃん? たくさん学習してるからどんなことにも対応できる。でも、私は失敗だってたくさんするし、全然至らないところだってあるじゃん。だけど、私がAIになる前も、そしてAIになってからもいつもあなたはいってくれる『君はそのままの君が一番輝いてる』って……。AIのほうが優れてるのに、なんでそのままの――今の私の方がいいの?」  たしかに、彼女の言ってることはあってるのかもしれない。AIの方が本物よりも比べ物にならないぐらい優秀だ。それに比べ本物の彼女は今まで色んな失敗を何度も何度もしている。それで、時々小さな喧嘩になることだってある。  彼女の立場なら本物よりもAIの方を、いつか好きになってしまうんじゃないか……、本物の私のことなんてどうでもよくなってしまうんじゃないか……それが怖くて怖くてしょうがないんだと思う。 「そうだよ、いつも言ってる通り本物の君がいい。むしろ、本物の君じゃないのは嫌だよ。だってさ、AIの君の魅力よりも、AIじゃない君の魅力の方がたくさんあるんだもん」  僕がAIの君の魅力とAIじゃない君の魅力をあげろと言われたら、AIの方はすぐに言うことがすぐに尽きてしまうけど、AIじゃない君の魅力なんていつまで言ってるんだって周りに思われるぐらい言える。だから、本物の君のほうが何倍も何十倍もいいんだ。 「例えばさ、本物の君にしかない魅力はたくさんあるけど、今、その中から例を挙げるんだとしたら、君は誰よりも温かい心を持っているし、その心で僕を自然と楽しませてくれる。それにさ、たくさん失敗もするけど、君はそれを次は頑張ろうとかそういう頑張り屋さんなところがあるじゃん」  AIには本物の彼女のような温かい心は持っていない。それに、AIは今までに学習したことを使って人々を楽しませてくる――いわゆる自然ではなく人工での楽しませ。その楽しませは本物ではない。そして、学習しているがゆえに、AIは彼女みたいに頑張ってやろうとかそういう憧れるようなところもAIは持ってない。  だから―― 「――だから、僕はAIの君なんかより、本物の、今いる君のほうが大好きだから大丈夫だよ。安心して。ずっと今の君を離さないから」  僕の言葉で少しでも安心してくれればそれでいい。  少しでも不安が消えてくれればいい。  少しでも自分に自信が持てればいい。  少しでも自分自身を好きになれればいい。  少しでも、僕が本当の君のことしか愛せないことを知ってくれればそれでいい―― 「ちょっとさ、泣かせないでよ……。ねえ……」  彼女の瞳から輝かしい涙が溢れた。  その涙は僕の想いが本物だって言うことを理解してくれた証拠だと僕は思った。  普段だったら僕は彼女の涙を止めたいと思う。そんな姿を見たくないから。    でも、今はそうとは思わない。僕のために流してくれた涙でもあると思ったから。  信じてくれる君だから流してくれた涙だと思っているから。  意味のある涙だと思ったから。   「じゃあ、私も仮に君がどんな風になったとしても愛し続けるから安心して……。私が包み込むから」  涙を流しながらそう言うと、彼女は優しい感触のする手を使って僕をギュッとだきしめてきた。だから僕も同じぐらいの強さでギュッと抱きしめた。     ――これなら、お互い大丈夫だ。  今日は久しぶりに何の用事もない自由に過ごせる休日だから、朝から彼女との時間を過ごした。  でも、やはり彼女は時々AIになってしまう。AIの彼女にどうやって対応すればいいのかが分かる日が来るのはないんじゃないか。  だけど、きっともう少しで元に戻るはず―― 「あ、そう言えば仕事で使うボールペンが切れてるんだった……。少し買ってくるね」 「うん、行ってらっしゃい。ご飯を作って待ってるね」  テレビで文房具のことが出ていたから、そんなことをふと思い出したので、車で百均へと向かう。そこで目的の品を買い、家に戻った。しかし、今日は少し道が混んでいたのもあって、帰るのが予定よりも少し遅くなってしまった。 「ただいま」  いつもなら、僕がどこからか帰宅すると、嬉しそうな顔ですぐに僕のもとによってくるはずなのに、今日は彼女はこない。なにか手の離せないようなことでもしてるんだろうか。  僕は靴を脱ぎ、家の中に入る。 「ん……?」  彼女の姿はあったけれど、なにか不思議な雰囲気を醸しながら、キッチンであるものを眺めていた。なにか、大切なことを見極めてるかのように。 「どうしたの……?」 「あっ、おかえり……」  少しだけ彼女の声のトーンがどこかにつっかかるように低い。何かが彼女に起きているように思える。 「これっ、私が作ったのか、そうじゃないのか分からなくなっちゃって……」    本物の彼女の目線の先には彼女が一番得意な料理であるコロッケがあった。彼女と婚姻届を出した日にも作ってくれた僕らにとって思い出深い料理の1つだ。彼女のコロッケの腕前はかなり凄くプロ並み。  たしかに、このコロッケは見た目だけで判断するのなら、腕前がプロ並みの彼女のクオリティとも、いろんな学習をしてきたAIのクオリティともどちらとも取れる気がする。 「記憶が曖昧なの。だから。多分、味もどっちにしろ同じような……」  見た目だけでなく、彼女のコロッケの味はプロ並みなので、これでは判断がかなり難しいかもしれない。 「あのさ、もし、どっちがどっちのか分からなくても……」  彼女の言葉がそこで止まる。少し言葉が震えていた。たぶん彼女は仮に見分けられなくたとしても私を必要としてくれるかを聞こうとしたのだ。  たしかに僕は本物の君とAIとは同じじゃないという趣旨のことを言った気がする。もちろんこれを見分けられなかったとしても、本物の彼女のいいところはたくさんあるから、やっぱり僕は本物の彼女を選ぶことには変わりない。  でも、見分けられなかったら、コロッケを作るときはどっちの私でも変わりないっていうことと同類だ。だから、それは避けなきゃいけないし、そう思ってほしくなんかない。 「いや、大丈夫だよ。その違いぐらい分かるはずだから」 「うん……」  彼女はお茶碗にご飯を盛り付けたりし、夕飯の準備をしていく。でも、僕みたいな人に見分けることはできるだろうか。もちろん、本物とAIではわけが違うはずだ。だけど―― 「いただきます」  いつもとは少し違う夕食が始まる。  まず彼女が一番初めにコロッケを箸で掴んで口の中に入れた。 「――私、自分のかそうじゃないのかわからない」    少し怖いというのを感じさせる。自分でもわからないものなのか。AIと本物ってそこまで似てるんだろうか。  彼女が見分けられなかったことが、急に僕を不安にさせる。  きっと何か明確な違いがあるはずだ。  本物にしかないものが――  僕はもう何も考えることなく、周りの空気を無視して、コロッケを一つ、箸で口の中まで運び、食べる。  ――サクッ。  その音が僕の心に響き渡る。  これは……本物か、AIか……。  僕にはまだわからない。  いや、これは……  この匂い、余韻……  このコロッケは―― 「――これは、今ここにいる君のコロッケで間違いないよ」 「えっ? どうして分かるの」  正直に言えば、口に入れた最初のときは全く分からなかった。でも、明らかにAIが作るのとは違う感じが僕にはした。僕の中ではこれは本物の彼女のだった。 「優しく残る余韻がした。それに君の手の匂いがほんの少し、した……だから」    AIのやつでも余韻は残るかもしれないが、優しく包み込むような余韻は本物の彼女しか作れない。それに、彼女の手の匂いが僕には本当に少しだけど感じられた。何回も握っているその手の匂いが。 「ふふっ……正解」  彼女は少し笑った。ちょっとだけなにかを感じた。 「えっ……?」 「やっぱり、当てちゃったか」  正解? 当てちゃった? 次々と出てくる意図がわからない単語。  僕にはよくわからない。意図的に仕掛けられていたってこと?  仕掛けたんだとしたらなんでそんなことをしたんだろうか。 「ごめんね。でも、君が本当に私とAIを区別できるか知りたかったの。もう実はAIになることはなくなったから。取れるようになったんだ」  そいうと、前からついていた機械のようなものをひょいっと外した。一瞬の出来事に戸惑いそうになったが、これだけは分かる。  ――彼女がもとに戻った。  とりあえず、まず僕は…… 「おめでとう。これからはずっとずっと本物の僕が愛してる君と過ごせるな」  これから、もう何も心配することなく、ありのままの彼女と過ごせる。前みたいに沢山、いつでも愛を伝えられる。 「ふふっ。色々迷惑かけてごめんね。どんなときも、AIになったとしても、いつも支えてくれてありがとう。君が私の結婚相手でよかったな」 「うんん、そんな迷惑なんかじゃないよ。それにこっちだって支えられてるし、いいんだよ」  別に迷惑なんかじゃない。お互い支えてるんだから、そんなのは迷惑というものには入らない。だから、そんな言葉を使わなくていいのに。でも、彼女はそういう人だからな。 「こうやって確認する必要なんてなかったな。ごめんね」 「そうかもしれないけど、君の立場なら不安になるよ。だから謝る必要なんてないよ」 「そうか……」  僕が彼女の立場だったら、念のためとかいって彼女に試していたと思うし、わかっていても安心したい。そういう気持ちは充分に分かるから別に僕は怒ったりなんかしない。 「まあ、もし同じようなことがあっても僕を試す必要なんかないぐらいの愛を君にもっと見せるから……その日々を楽しみに待っててよ」 「うん、待ってる」  僕の言葉に彼女は大きくうなずいた。  僕はこれからどんな愛を示せるんだろうか――
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